12奥山 倫行 氏 第1章 弁護士【アンビシャス総合法律事務所 パートナー】

LINEで送る
Pocket

奥山 倫行 氏


アンビシャス総合法律事務所
http://ambitious.gr.jp/
パートナー

略歴
札幌南高校出身
慶應義塾大学院在学中に司法試験に合格
2002年 国内の大手法律事務所であるTMI総合法律事務所に勤務
同事務所で、企業法務、事業再生、会社法関連訴訟、知的財産関連業務、M&A等の業務に従事
2007年 故郷である札幌にて安藤誠悟弁護士とともにアンビシャス総合法律事務所を設立
企業法務を中心としたリーガルサポートを行っている

著書
「弁護士に学ぶ!交渉のゴールデンルール」
「弁護士に学ぶ!クレーム対応のゴールデンルール」
「成功する!M&Aのゴールデンルール」
(いずれも民事法研究会)
ほか


 

 


1.弁護士を目指して

 

弁護士になろうと考え始めたのは、高校を卒業する頃でした。

 

高校を卒業するにあたり、進路をどうしようかと考え始めました。

当時の日本はバブル崩壊後でしたので、世の中が暗い雰囲気に包まれていた時期でした。

自分なりに世間を見渡したときに、「どうせだったら世の中を良くできる仕事に就きたい。世の中を明るくするために自分ができる仕事は何か」と考えていたところ、弁護士という仕事を知り、弁護士を志すことにしました。

 

中学校、高校とずっと陸上部に所属して過ごしました。

学生時代は陸上に打ち込み、全く勉強していなかったので、現役時代に受験した志望校は全て落ちてしまいました。

その後、1年間浪人して勉強に励んだ結果、慶應義塾大学法学部に進学することができました。

 

いざ大学に入学すると、法律に関連する仕事といっても、大学に残って研究者を目指すなど、色々な選択肢があることを知りました。

そういったこともあり、大学卒業後も、そのまま大学院に通う道を選び、並行して司法試験を受験することにしました。

そして、慶應義塾大学大学院在学中に3回目の受験で司法試験に合格し、再度進路のことを考えましたが、その頃には「弁護士になりたい」という気持ちが固まっていたので、大きく迷うことなく最高裁判所司法研修所に入所しました。

当初から「北海道のために仕事をしたい」という想いが強かったので、弁護士になった後の仕事の分野としては、北海道の企業に関する企業法務をやりたいと思っていました。

企業法務の分野を選んだのは、企業法務の分野は、交通事故や離婚や相続等、多くの弁護士が扱う個別の紛争解決に比べて活動領域が広く、必然的に関わる人も多いので、より多くのトラブルや紛争の解決や予防のために尽くすことができると考えたからでした。

 

ところが、自分なりに色々と調べたり、大学の先輩に聞いたりすると「一概に企業法務と言っても対象範囲は広く、特に、最先端の企業法務の分野をやるには北海道で経験を積むことが難しい」ということがわかってきました。

また、「地方都市の企業法務は、東京や大阪で扱われている最先端の企業法務と比べて10年ほど遅れを取っている」と言う方もいらっしゃいました。

そんなわけで

「一度、東京の法律事務所に入り、そこで経験を積みながらそこに在籍したまま北海道の企業に向けた仕事をするという選択肢もあるだろうし、それができなければ東京で経験を積んだ後に北海道に帰ってきて地元の北海道で弁護士をするという選択肢もあるだろう。いずれにしても、まずは北海道にはない最先端の企業法務の分野の仕事を東京で経験してみたい」

と考え、東京のいくつかの法律事務所を候補に挙げて就職活動をしたのですが、その結果、第一志望のTMI総合法律事務所に入所させて頂くことができました。

 

私が入所させて頂いたTMI総合法事務所は、もともとは知的財産の分野に定評のある法律事務所でした。

私が入所させて頂いた時点では既に、知的財産の分野に限らず幅広い企業法務分野を専門的に取り扱っており、弁護士だけで50名以上は在籍している大きな事務所でした。

当時のTMI総合法律事務所は、他の大きな事務所と比べても歴史は浅く、在籍しているメンバーの年齢層も若く、自由闊達で、とにかく明るくエネルギーに満ち溢れている雰囲気の事務所でした。

同事務所は、今では、日本内外に複数の拠点を構え、弁護士数も400名近くになり、日本でも4番目、5番目の大規模事務所になっています。

 

奥山弁護士(左)

 

 

2.最先端の企業法務

 

一口に最先端の企業法務と言っても、特許法、商標法、著作権法、その他の知的財産、インターネット関連ビジネス、M&A、IPO、ファイナンス、スポーツ、メディア、エンターテインメント、独占禁止法、金融商品取引法、国際取引など様々な分野の仕事がありました。

当時は、50名以上の弁護士が在籍していても、「まだまだ人が足りない」という状態で、常に活気と刺激に溢れていました。

所属している弁護士も、貪欲に仕事にのぞんでいて、弁護士1、2年目でも、様々な分野に興味を持って一生懸命働いていれば、色々な仕事を担当させて貰うことができ、それらの仕事を通じて経験を積ませて貰えるという非常に恵まれた環境でした。

 

ただ、実際に入所してみると、自分が想像していた以上のハードワークの日々で、仕事の面白さも相まってか、まさに寝る時間を惜しんで貪るように働いていました(苦笑)。

 

当時の日々を振り返ると、

朝8時過ぎには事務所に到着して仕事を開始して、そのまま、夜中の2時過ぎとか3時過ぎまで働く

そこから一度家に帰り、仮眠をとってまた出社する

という1日を月曜日から金曜日まで続けるような具合でした。

先輩や同期や後輩たちも同じような生活をしていたように思います。

こんな生活だったため、1週間の単位が、普通の人の1日と同じような感覚になったことを覚えています。

一息ついて同僚と飲み会に行くとしても、飲み会の開始時間が金曜日の夜の22時からという、想像を絶する日常でした。

当時は「東京の弁護士って皆そんなものなのかな」程度にしか感じていませんでしたが(苦笑)。

 

そのようなハードな日々でしたが、とにかく仕事が面白かったんです。

自分が担当させて頂くのは下調べや下働きの部分だったり、ほんの1部分だったりすんです。

それでも、自分が関与した案件が翌日のニュースや新聞で取り上げられたり、裁判案件も判決が判例集に収録されるような新しい分野の仕事だったりして、自分が関与させて頂いている仕事が、世の中にも注目されていて、世の中に繋がっていて、世の中からの反響も感じることができるというのは、とてもやりがいがあると感じていました。

また、1日を過ぎると、体力的にはへとへとに疲れるのですが、その分、確実に昨日よりも知識も経験も増えていっているので、日々、自分の成長を実感することができ、嬉しく思っていました。

1つでも多くのことを経験して、少しでも早く成長したいと願いながら過ごしていました。

 

弁護士の場合、書籍や判例から得る「知識」も必要ですが、それ以上に、実際の実務経験を通じて様々な実例を取り扱うという経験から得られる「知恵」が重要です。

そういう意味では、若いときに、とにかく人よりも大きな負荷をかけて、人よりも少しでも多くの案件を扱い、より多くの経験を積むことができたということが、自分にとっては非常に大きなプラスになっていますし、それが今の自分の自信に繋がっています。

また、TMI総合法律事務所には、それぞれの分野で日本の第一線で活躍している先生が沢山いらっしゃいましたので、そのような先輩弁護士と机を並べて仕事ができるばかりか、直接、指導を受けることができたことは、今振り返ると、本当に幸運な環境だったと思います。

弁護士になり立ての頃に、多くの一流の弁護士の仕事ぶりや人柄に接して、仕事のやり方や弁護士としての在り様を学ぶことができたのが、自分の人生の礎になっていることは間違いないと思います。

 

そのような生活を送りながら数年が過ぎたころ、ふと考えたことがありました。

それは、学生時代から東京で生活していましたので、それまでは1年に1度帰省できるかできないかといった状態だったわけです。

「自分がこのまま人生を過ごしていったときに、自分の親や兄弟とは、あと何回会えるだろう」ということでした。

 

そう考えだすと、何とも親不孝だし、このまま人生を過ごしていくと、必ず将来後悔する瞬間が来るだろうと考えたのです。

そんなことを考えているうちに、もともと「北海道のために仕事をしたい」と考えていたこともあり、また「自分もある程度経験も積んできたし、世の中もどんどん変わっていくので、少しでも早い段階で両親も兄弟も住んでいる北海道で、北海道の役に立つ仕事をしたい」という想いが強くなっていきました。

 

東京では、多くの先輩や同僚や友人に囲まれ、仕事も生活も楽しいし、成長を期待して面倒見良く接してくれた多くの先生や同僚には大変申し訳ない気持ちもあり、迷いが無かったかと言うと嘘になります。

それでも、最終的にはお世話になったTMI総合法律事務所からも快諾して頂くことができ、地元の札幌に帰ることになりました。

 

 

 

3.計画無し

 

TMI総合法律事務所を退所した後にどうやって仕事をしていくかを考え始めました。

そのタイミングで、たまたま、TMI総合法律事務所の同期の安藤誠悟弁護士も独立を考えていることを知りました。

晩御飯のときに、2人で互いの将来のことを話したりしていると、何となく話の流れもあり「それなら一緒に独立して開業することも考えませんか」という話になっていきました。

私からもう少し熱心に誘ったような気もしますが、今となっては正しく覚えていません。

 

そもそも、開業するにあたって何か明確に合意した計画があったわけではないので、独立する地域として、札幌以外の地域も検討しました。

その後、安藤弁護士との話し合いの中で、徐々に話が進んでいき、北海道が候補地に絞りこまれていって、北海道のどこで開業するかとなったとき、やはり札幌が良いということで意見が一致しました。

安藤弁護士は、名古屋出身でしたが、開業の場所に絶対的な拘りがあったわけではなかったようで、大きく反対されることはありませんでした。

安藤弁護士が「北海道には旅行で行ったことがある」という程度の話はしていた記憶がありますが、安藤弁護士も北海道に移住し、一緒に独立する方向で計画がまとまり、札幌に事務所を構えて法律事務所を開業することになりました(笑。

 

色々な候補がありましたが、アンビシャス総合法律事務所という名称で事務所名を決めて、ロゴマークを作って、事務所を開業する場所を決めて、賃貸借契約も締結しました。

そのとき借りたのが、今のまさにこの場所です。

この場所は、大通公園を挟んで裁判所と対峙する場所で、地下鉄の駅からも近く、自分たちにとっては理想の場所でした。

法律事務所を開業すると言っても何が必要で何を用意すべきか等、わからないことばかりでした。

安藤弁護士と二人で、先輩の弁護士や、知り合いの弁護士から聞いたりして、法律事務所に必要なものを少しずつ調べていきました。

 

法律事務所なので、それぞれの弁護士の執務スペースの机や椅子、依頼者と打ち合わせをするための会議室や会議室の机や椅子も必要です。

電話やFAXも必要です。

そんな感じで必要なものを順次リストアップして揃えていきました(笑。

要するに「開業する」と決めて事務所を借りはしたものの、分からないことだらけだったわけです(笑。

 

弁護士会の登録変更手続も済ませ、女性事務員を1名採用して、安藤弁護士と私と事務員の3名でスタートしました。

このとき参画してくれた事務の松原さんは、今でも元気に働いてくれています。

事務の松原さんは、事務所ができあがる前に、札幌市のホテルの会議室を借りて、そこで面接をしました。

ホテルの会議室といっても、新しく立派な会議室ではなく、価格の安さを重視して会議室を選んだので、どちらかと言うと古びた感じの少し暗めの怪しい会議室だったと記憶しています。

私だったら、そんな怪しい職場で面接する怪しい法律事務所は選ばないと思います(苦笑。

何が良かったのか、そんな状況にも関わらず入所してくれて、設立してから10年が過ぎた今でも一緒に働いてくれている事務の松原さんには、日々感謝の想いが堪えません。

有難うございます。

 

さて、色々と準備も揃って、いざ事務所がオープンしました。

しかし、大事なことを忘れていました(笑。

肝心の仕事のあてが無かったのです(苦笑。

 

「あれ?ところで、仕事はどこから来るんだろう?」

「依頼者とは、どこで、どうやって出会うんだろう?」

 

といった感じで、その時点では正直十分な考えも対策もありませんでした(笑。

「あ!安藤さんは考えているかもしれない…」と思って、安藤弁護士に尋ねてみたのですが、「うーん、取り敢えず、弁護士会の法律相談を担当させて貰うのが良いのではないか」という程度の答えだったと思います。

その後、安藤弁護士が調べたのか、私が調べたのか忘れましたが、調べてみたところ、弁護士会の登録替えを行った私たちが札幌弁護士会の主催する法律相談を担当させて貰えるようになるのは、1年先のことでした(笑。

 

知り合いの先生や同世代の先生方は、皆忙しくパワフルに働いている雰囲気でしたし、自分たちも法律事務所を開所すれば何とかなるのだろうくらいに簡単に考えていたわけで、何とも照れ臭いというか、恥ずかしいというか、我ながら困ったものだったと思います(笑。

 

当時1件だけ知り合いの伝手で依頼を受けていた本州の裁判案件があったのですが、記憶にある限り、その案件くらいで、それ以外には何にも仕事はありませんでした。

今では幸いなことに多くの顧問先や関与先に恵まれ、そこから受ける相談や依頼や、顧問先や関与先から紹介して頂ける業務だけで事務所の業務は回っていて、逆にここ数年間は紹介者を介さずに事務所に入る飛び込み案件には対応することができていないような状態が続いてしまっているのです。

しかし当時は、顧問先の会社もありませんでしたし、関与先の会社も1件もありませんでしたし、飛び込み案件すらない状態でした。

そのような状況ですので、電話線を引いて、電話機も何台も設定してありましたが、一向に電話が鳴る気配はありませんでした(笑。

また、ようやく事務所に人が訪ねてきたと思うと、どこかの会社の営業の人という、そんな感じの日々が2ヵ月くらいは続いたような記憶があります。

 

私の事務所の会議室の下には大通公園が拡がっています。

当時も同じような眺めで、窓から大通公園を見下ろしながら

「今日は平日の昼間だけど、世の中には本当に多くの人がいる。きっと大通公園を歩いている人の中には、重大な悩みを抱えている人がいるだろうし・・・せっかくだかから、お茶でも飲むついでに、ちょっと事務所に立ち寄ってくれないかな・・・」

とか考えたりしながら街の景色を眺めていました(笑。

だんだん不安になって、安藤弁護士の方を見ても、安藤弁護士は、ずっとパソコンに向かって仕事以外の何かをしていたり、法律書を読んだり、マイペースな感じで、「まあ、こんな感じじゃない?そのうち何とかなるでしょ」といった他人事のような雰囲気を醸し出していました。

 

事務の松原さんも「法律事務所に勤めているはずなのに、電話も鳴らないし、裁判所が目の前なのに裁判所にも行くことが無いし、来客もないし、この人たち本当に弁護士なのかしら」と不審に感じていたのではないでしょうか。

徐々に、事務の松原さんからの疑惑の目線というか、そんな気配を察するようになったため、私は「これ以上ずっと事務所にいると良くないし、安心させてあげないといけない・・・」と思いはじめました。

そして仕事も用事も無いのに、時間を潰すために外出して喫茶店で漫画を読んだり、コンビニエンスストアに行って立ち読みをしたり、大通公園のベンチに座って缶コーヒーを飲みながら日光浴をしたり、早足で裁判所に向かう他の弁護士の先生を観察したりしながら何とか時間をやりくりしていました(笑。

 

事務所を開設したときは、「東京で経験を積んできた最先端の企業法務の事務所を北海道に作る」と意気込んで気負っていたのですが、企業法務の仕事はおろか、弁護士としての仕事というか、人生相談のような相談事すらないような有り様で、「あれ?参ったな・・・どうしようかな・・・」といった感じで、何となく不安な気持ちが膨らんでいきました。

 

そんな折に、ふと周りを見ると、安藤弁護士は、やはり動じることなく、相変わらずデスクに座ってマイペースにパソコンをいじっています。

事務の松原さんも、電話が鳴る日を夢見つつ、A4用紙をハサミで小さく切ったりしながら、オリジナルの電話メモを作成したりしてくれたりしていました。

そんな二人の姿を見て「まあ、とりあえず1人じゃないから、良かったな」と感じたのを覚えています(笑。

 

 

4.一から経験を積みなおし

 

今振り返ると、最初から札幌で弁護士になって、そのまま独立して開業していれば、状況はもっと違ったかもしれません。

弁護士の仕事は、案件を通じて、ある程度の人脈は形成されていきますので、コツコツと案件の解決を積み重ねていけば、それだけで過去の依頼者からの紹介も期待できるようになっていくからです。

他方で、私たちのように、大した人脈や見込みもなく、いきなり東京から札幌へ帰ってきて独立して開業するのは、今考えると相当リスクが高いことだと思います(笑。

誰かから案件を紹介してもらう前に、そもそも誰にも認知して貰えていないわけですから、まずは認知を拡げていくことというか、知り合いを増やしていくことから始めなければなりませんでした(笑。

当時は30代前半で、年齢的にも若かったですし、「まあ、何とかなるだろう」という程度の気持ちだったのだと思います。

逆に、「自分たちは東京の最先端の企業法務をやってきたわだから、北海道の弁護士の多くが体験したことがない分野の経験を積んでいる。自分たちしかできない分野も多いだろうし、そのうち何とかなるだろう」といった根拠の無い自信すら持っていました。

でも現実はそんなに甘くありませんでした。

そんな根拠の無い自信だけで生活していくことはできません。

時間が過ぎれば、事務所の経費も日々嵩んでいきますし、貯金が無くなれば、自分たちの生活も着実に危うくなっていくわけです(笑。

 

そんな状況でしたので、最早「最先端の企業法務がやりたい」なんて贅沢なことを言っている場合ではありません。

「事務所を存続していけなければ、元も子も無い。取り敢えず、できることがあれば、何でもやろう。頼まれ事は試され事だから、何でもやろう」と決めました。

具体的な取組としては、札幌の先輩弁護士から、雑多な仕事でも何でも良いので、仕事を紹介して貰おうといったことを考えました。

弁護士の仕事の中には、結果的に見て割が良い仕事もあれば、割が悪い仕事もあります。

報酬や対応に要する時間に比べて、苦労が多かったり、面倒だったり、時間がかかったり、手間がかかったり、法律的な難易度が高かったりするような仕事は割が悪い仕事と受け止められています。

先輩弁護士は皆忙しく仕事をしている様子だったので「割の良い仕事もあれば、割の悪い仕事もあるだろうし、割の悪い仕事であっても良いので、何でも紹介して貰えるものは、紹介して対応していこう」という方針で、先輩弁護士に「何でも良いので、何か仕事ありませんか」と相談しました。

すると、先輩弁護士も「それなら・・・」と言いながら、面倒で手間のかかるような厄介な案件を中心として、様々な案件を紹介して貰えるようになりました(苦笑。

 

面倒で大変な案件でも、私たちにとっては貴重な案件なので、とにかく全力で対応させて頂きました。

当時はまだ弁護士数も多くありませんでしたので、そんなことを続けているうちに、刑事事件の当番弁護士や国選弁護人の枠を丸々全て譲ってくれる先生がでてきたり、民事事件の面倒で手間がかかるような厄介な案件を中心に様々な案件を紹介してくれる先生も増えてきたりしました。

そうこうしているうちに、自分たちも弁護士会の法律相談の枠を任せて貰えるようになったり、古巣のTMI総合法律事務所からも北海道の案件を紹介して貰えるようになったりして、少しずつ忙しくなっていきました。

ただ、それでも事務所や自分たちの生活を維持できるほどの売上にはならないので、弁護士会から「○○相談会の相談者募集」とか「相談担当者を交代してくれる人募集」とかの案内が届くたびに、「待っていました」とばかりに、とにかく何でもかんでも、まずは応募するといったことを続けてきました。

 

そうこうしているうちに、ふと気付くと、自分の依頼者の殆どが、刑事犯罪者や多重債務者になってしまった時期もありました(笑。

 

また、仕事の依頼がくるようになったとは言っても、TMI総合法律事務所に在籍していたときは経験したことがないような案件が多くて、悩ましい状況に陥ったことを覚えています。

すなわち、安藤弁護士も私も、東京では企業法務に関する仕事を中心にやっていたので、それらの分野の知識や経験は多くとも、それ以外の分野の知識や経験は殆どありませんでした。

そのため、弁護士になって5年も経過していれば、殆どの弁護士が経験しているはずの刑事事件や、離婚などの家事事件や、遺言書作成や遺産分割などの相続案件、交通事故の案件等について、圧倒的に知識も経験も足りていませんでした。

つまり世の中に溢れていて一般的に必要とされているほとんどの分野での経験が足りなかったのです。

 

東京で最先端の企業法務だけをやり続けていたことで、潰しがきかない弁護士になっていたことを実感しました。

 

自分たちのわからないことは、書籍等で調べつつ、先輩弁護士や同期の弁護士にも確認しながら、2倍以上の時間と労力を掛けながら対応していました。

まさに1年目の弁護士と同じような状態で、「これどうしよう」ということもありましたが、「もう一度、弁護士1年目の気持ちで、しっかりやり直すぞ」と奮い立たせて愚直に業務を行っていきました。

 

他方で、TMI総合法律事務所の先生が紹介してくれる仕事も並行して存在し、そこでは引き続き最先端の企業法務の仕事に接することもできました。

案件数自体は多くありませんでしたが、そもそも自分たちがやりたい仕事でしたし、他の分野の仕事よりは知識も経験も豊富な分野の仕事だったので、それらは1つ1つ丁寧に対応していきました。

そんな経験を積んでいるうちに、「札幌にもこのような案件に対応できる弁護士がいるんだ」という認知が少しずつ広がっていきました。

一度、仕事をさせて頂いたクライアントから、また別のクライアントを紹介して頂いてといった好循環が少しずつ拡がっていきました。

そのようなことを丁寧に続けているうちに、徐々に企業法務の仕事の割合が増えていきました。

 

 

5.徐々に拡張へ

 

2007年に開業した後、今まで10年をかけてそんな感じで過ごしていました。

今は、既存の顧問先や関与先からの紹介が殆どで、有難いことに、日々、その輪が拡がっていっている状態にあります。

また、企業法務の分野に限らず、離婚などの家族法の分野や、交通事故の案件等についても経験値が蓄積され、ノウハウも増え続けていますので、そのような案件にも自信をもって積極的に対応させて頂くことができています。

 

地方都市の場合、企業法務といっても、クライアントは中小企業が殆どですので、どうしても役員や従業員の離婚等の家族法分野や、遺言や遺産分割等の相続の分野、交通事故、それらの方々の子どもが通う学校での事故等の案件にも対応できなければ、弁護士としてクライアントからの期待値を超えることはできません。

また、それぞれの分野で相応に専門性を高めていかなければ、他の事務所と対等に対峙することはできません。

さらに、時間的にも、能力的にも、弁護士が2名だけで対応できる事柄は限られているので、顧問先や関与先が増えてくると2名の弁護士だけで対応することができなくなっていきます。

そのようなわけで、ここ数年間は、毎年、新しい弁護士を採用しています。

少しずつ事務所の規模も大きくなってきました。

2018年の時点では弁護士7名と司法書士1名の陣容なのですが、そのうち安藤弁護士は、弁理士業務も行っている弁護士兼弁理士ですし、もう1名は弁護士兼社会保険労務士ですし、女性の弁護士も採用できましたし、人材の多様性も意識しながら採用活動を続けています。

今後も、徐々に事務所の文化や風土ができてきましたので、新卒採用だけではなく、中途採用も検討し、2019年以降も毎年複数名の弁護士の採用活動を継続していく計画を立てています。

 

アンビシャス総合法律事務所では、案件の規模や内容を問わず、基本的には必ず複数名の弁護士がチームになって案件を担当することにしています。

もちろん、国選弁護士事件など、1名の弁護士だけで対応しなければならないような案件もありますが、それ以外の案件は可能な限り、複数の弁護士で構成するチームで対応しているのです。

このような制度にしているのは、経験の共有という側面もありますが、クライアントにとって最良のリーガルサービスを提供するという私たちの考え方に基づきます。

例えば、弁護士1人の事件の見方だと、その弁護士個人による一面的な捉え方しかできませんが、他の弁護士が加わることで、1人の弁護士のときとは違った視点で捉えることがきるようになります。

どんなに優秀な弁護士であっても、1人の弁護士の知識や経験は限られていますので、複数の弁護士がチームで対応することで、1人の弁護士だけでは発見できなかった事実や証拠や主張を発見することができる場面も多いと思います。

また、企業法務の分野では、突発的に問題やトラブルが生じた場合に、可及的速やかに対応できることが当然のこととして求められます。

しかし、弁護士も体は1つしかないので、その弁護士が裁判所に行っていたり、他の緊急の案件に対応していたりすると、緊急の対応ができなかったりします。

そのような場合でも、とにかく迅速に対応できるようにするためには、複数の弁護士がチームで対応する体制を整えて、1人の弁護士が対応できなくても、もう1人の弁護士が対応できる、もう1人の弁護士が対応できなければ、更に他のもう1人の弁護士が対応できるようにしておく必要があると考えています。

このやり方は前職のTMI総合法律事務所で採用されていた方法で、アンビシャス総合法律事務所でも、その方法を踏襲しています。

 

ただ、殆どの案件では、関わる弁護士が増えても、必ずしもその分、弁護士の報酬が増えるわけではありません。

そのため、このような制度は、法律事務所の経営効率を考えると、短期的には望ましいとは言えないかもしれません。

ですが、案件への対応を通じて弁護士間での知識や経験の共有を図り、良い結果を出し続けることができるのであれば、中長期的にみても必ず事務所の成長に繋がっていくと考えています。

ある法律事務所が他の法律事務所よりも良い認知を受けるためには、弁護士としての技量が高いプロフェッショナルを、いかに多く揃えることができるかが重要になると思います。

そして、弁護士としての技量を高めるために必要な知識や個々の体験から学ぶ知恵は、時間をかけて人から人に伝えていくしかありません。

今は時間がかかり、経営効率としては効率が悪いかもしれませんが、そのような体制を構築しながら丁寧に人材の育成と組織の成長を図っている段階にあります。

 

その中で、日々、頭を悩ませているのは、人材採用のペースをどう考えるかです。

ここ数年は、常に人手が足りない状態が続いています。

沢山の仕事の依頼を頂けることは有難いことですが、その分、各弁護士への負荷がかかっています。

特にアンビシャス総合法律事務所では最先端の分野や国際取引等の案件が増えてきていて、知的難易度の高い案件を同時並行的に抱えていますので、それらの分野の知識や経験を吸収し続けていくだけでも相当な時間を要します。

だからと言って、一気に5人、10人と採用してしまえば、それで解決できるかと言うと、そうではありません。

単純に若い弁護士が増えれば良いとか、他の事務所で経験を積んだ弁護士が増えれば良いとか、そういう問題ではありません。

自分たちと同じ価値観を共有できて、同じような高いプロ意識をもって仕事に臨める弁護士でなければ、これまで築いてきたアンビシャス総合法律事務所なりの文化や風土を維持することができなくなってしまいます。

そして、それができなければ、私たちを必要としてくれているクライアントのニーズにも答えることはできません。

クライアントも、多くの弁護士の中から敢えて私たちを選んでくれているわけなので、仕事の質やクライアントからの期待に背くわけにはいいきません。

仕事の質が崩れてしまうと、私たちの事務所の存在価値がなくなるのだと思います。

 

ですので、今はまだ毎年少数でも「これは」という人材を採用して、着実に成長して貰えるような環境を整えることに注力しています。

今、私と一緒に案件を担当する機会が多い3名の弁護士がいます。

その3名の弁護士が着実に知識と経験を蓄えながら、事務所の文化や風土を承継してくれれば、次はその3名の弁護士が「親方」になり、後輩の弁護士を育ててくれます。

そのときに、その3名の弁護士にまた3名ずつ弁護士を配置することができれば、それでようやく9人とか10人とかの採用ができるのだと思いますが、そうならなかったら、それほど多くの弁護士を採用できなくても仕方ありません。

事務所が大きくなれば、その分、世の中に貢献できる機会も増えるので、そうなれば望ましいと思いますが、焦っても良い結果にはならないと思いますので、背伸びをすることなく等身大で成長していきたいと思います。

 

私は、開業してからの10年間を第1創業期と考えていたので、今はまさに第2創業期に入ったところです。

そして、第2創業期の前半では「親方」を育て、後半からは人材採用のペースをあげつつ事務所を大きくしていきたいと願っています。

ただ、大事なのは、闇雲に規模だけを大きくするのではなく、事務所の文化と風土を大切にしながら伝統として紡いでいくことだと思いますので、様子を見ながら進めていくつもりです。

 

つづく

 

奥山弁護士が執筆した書籍