11伊藤 貴之氏 第1章 飲食業【カモシヤ 代表】

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 伊藤 貴之氏


カモシヤ
https://ameblo.jp/kamoshiya83/

代表

略歴
2011年10月 札幌駅北口エリアにて開店
2017年 5月 大通エリアにて拡張移転


「たくさんの日本酒を広めたい」

その確固たる思いを実現するため、着実に事業の展開をする伊藤さん。

やんちゃそうな見た目とは正反対に若さの勢いに任せず、お客様と従業員の為に最高のお店作りを続けます。


第1章 第一創業

 

 

1.起業前

 

高校生の時は3年間、地元の滝川でずっと飲食店のアルバイトをしていました。

お寿司屋さんです。

もともと高校には行きたくなかったんですが、たまたま受けたら受かってしまって(笑。

受かってしまったから親には「高校に行け」と言われ、高校にはイヤイヤ在籍していた感じです。

朝学校に行って、午後には学校を抜けてバイトに行って仕事して、夜家に帰って、朝起きて学校へ行って、昼からアルバイトして、、、、、というアルバイト漬けの生活を3年間続けました。

 

その時は、特に「飲食店が好きだ」ということで働いていたのではなくて、ただ「お金を稼ぎたい」という思いでアルバイトをしていました。

 

さすがに高校を卒業することになった時、アルバイトは辞めました。

でもアルバイトばかりの生活を3年間続けたわけなので、就職活動もさほどしなかったですし、僕だけ就職先が決まらないまま卒業式を迎えました。

そうすると、アルバイト先の店長とチーフが「札幌で居酒屋をやるから手伝ってくれないか」と声をかけてくれたんです。

それで声をかけていただいた、札幌の居酒屋で働くことになりました。

 

その時も、たまたま飲食店でしたが、どうしても飲食店で働きたかったわけではなく、ただ実家を出て一人暮らしができれば、何の仕事でも良かったんです。

就職も決まっていませんでしたから。

 

18歳から22歳まで4年間そこでお世話になりました。

22歳の時に、お店を閉めることになったんです。

その後半年間ほど何もしない時期を過ごしました。

 

23歳の時、今札幌でも多くの居酒屋店舗を経営しているR社の立ち上げに関わることになりました。

この時にまた飲食店に携わることになった時に初めて「あ、俺これからずっと飲食業をやるな」と思いました。

 

当時の友人が社長となりR社を立ち上げる、ということで呼ばれたんです。

その会社では役員として会社のNo.2で働かせていただきました。

「この人と一緒に働けるなら、もう一生この仕事でいいかな」と初めて思えたんです。

 

その会社で、居酒屋甲子園やS1サーバーグランプリなどの飲食の全国大会に参加させていただいて、賞もいくつかいただきました。

 

 

2.起業

 

そんな中、28歳の時、社長とは目指すものは同じなんですがやり方について少しずつ違いが出始めました。

もちろん会社にいる以上社長を優先していたんですが、そのうち「自分でやってみたい」と思うようになったんです。

 

社長と話して会社を辞めることにしました。

 

その際に社長から「自分で飲食店をやるの?」と聞かれたので、「やります」と答えました。

するとそこが社長の素晴らしい尊敬するところなんですが、「それならこの会社のお金使って、自分が好きなようにゼロからの全ての立ち上げを経験してから辞めればいいんじゃない。」と言ってくれたんです。

 

その会社では、僕が新店の立ち上げをやっていたんですが、お金の部分については社長が全て決めていたんです。

だから、今回はこの予算で自由に店舗を出店して、その後引き継ぐ社員に引き継がせて、それを一回経験してから辞めれば良いんじゃないか、ということになったんです。

 

それで、物件、内装、メニュー、お酒、全て自分で好きなように作って

2011年10月1日

札幌駅の北口に「カモシヤ」を開店しました。

 

 

カモシヤ(札幌駅北口エリア当時の外観)

 

 

R社の従業員を2人入れてもらって、いずれ2人のうちのどちらかに店を引き継ぐ、ということにしました。

でも、それほどまでに僕の全てを注ぎ込んで作ったお店ですので、実際には2人のどちらかに引き継いでも、引き継いだ後、お店が同じパフォーマンスを出せなくなるのは歴然でした。

業者さんには「こういう料理を作りたいからこういう食材がほしい」とお願いしたり、内装などもこだわって作りこんで、とにかく思いを全て詰め込んで開店したんです。

ここまで自分で作りこんだお店が、引き継いだ後無くなるかもしれないのは悲しすぎます。

 

社長を飲みに誘いました。

するとその席で社長から「おまえあの店どうする?」と聞かれました。

「社長はどう思ってます?」と聞き返したら、「俺はあの2人が引き継ぐのは無理だと思う」と社長は言ったんです。

僕も「実はその話をしたくて飲みに誘たんです。開店の資金は〇年で返すから、この店を俺に譲ってほしいんです。」と言いました。

社長「その言葉を待ってたわ!」

これで独立することが決まりました。

開店して1ヵ月少し経ったときのことでした。

 

大家さんとの契約の変更などの手続きもすませ、敷金分も含めてR社へ返済することにしました。

 

そこから完全に独立しての営業です。

 

 

3.一人の大変さと良さ

 

全然知らないことが沢山ありました。

 

はじめは会計なども自分でやっていましたが、だんだん忙しくて手に負えなくなってきたので、税理士さんにお願いすることになり、そういった方と直接打合せをするようになったりと、初めての経験が沢山ありました。

 

どんなに忙しくて大変になっても、自分が少しでも気持ちが萎えたり、モチベーションが下がったりしてしまっては、絶対にいいお店ができなくなります。

個人でやっていると気持ちを保つのが一番難しいと感じました。

 

特に僕は一人でやっていましたから。

 

上司もいないし、下で働いてくれる人もいないし、料理の味見してくれる人もいないからお客様には自分が美味しいと思ったものしか出せないんです。

お酒の選別にしても、自分だけで全部決めなければならないんです。

もう一人誰かがいて、自分だけではなく二人で味見して「良い」となれば前に進みやすいんです。

もしその料理やお酒が美味しくなければお店の評価も下がるわけです。

全部自分一人でやりながら、全部が自分だけの責任の状態です。

 

「これは大変だ」と思いましたが、大変な面と良い面は表裏一体でした。

 

逆をとれば、大変な反面、一人だから気楽にできるんです。

15席しかないお店でしたから、世の中の全ての人にウケようなんて思ってもいなかったです。

逆に15席を一人で営業していて、全てのお客様に最高のサービスを提供することもできないわけです。

なので、お客様にとってはこのお店に「合う」「合わない」もあったと思います。

「合う」と思ってくださる方がこのカモシヤというお店で日本酒を飲めて、楽しんでくれればそれでいいな、と結構気持ちが楽に営業ができたんです。

 

もう一つ、一人でやっていたのでプレッシャーも無かったのが良かったです。

万が一失敗しても自分一人のことですから、人を巻き込むより気持ちが楽です。

 

 

オープンしてから半年間は、R社の時代の自分の人脈の方がお客様としてたくさん来てくれました。

当時の常連さんや、当時働いてくれていたアルバイトさん達が随分飲みに来てくれたんです。

しばらくそんな状態で15席しかないお店ですから、フリーで入ってきていただいたお客様には逆にアットホーム感が強すぎて入り込めなくなってしまうほどでした。

 

 

4.どん底

 

僕は当時から、飲食店の多くが出すネットの広告を一度も出さないで来たんです。

 

その広告費に使うお金をお客様のサービスに回したかったからです。

 

開店半年ほどして、当時の人脈でのお客様が来なくなり始めました。

広告も打っていませんから新規の方も少なかったですし、フリーで来てくれた方も、当時の「アットホームすぎる感」のせいで来ていただけなくなり、というようになってきました。

 

そこから半年(開店1年)はなんとか持ちこたえましたが

 

そこから先の半年が苦悩の日々でした。

 

お客様が誰も来ない日が何回かあったんです。

 

最初の半年の自分の人脈だけに頼った営業を反省し、自分のスタイルも変えました。

とにかく悩んでいろいろ変えてゆきました。

諦めずに、踏ん張っていました。

 

冬には温かいスープを作って、外を歩いている人に配りました。

仕事が終わってからパソコンでチラシを作って、近隣のマンションに配布したり、近隣のビジネスビルのテナントさんにアポを取ってご説明にいったりしました。

効果はわずかでも、常にそういったことをやり続けていました。

 

 

5.復活

 

そんな瀕死の状態で開店1年半経った時、「poroco」(ポロコ:札幌の生活情報誌)で見開き一面でご紹介いただいたんです。

 

まだお店が落ち込んでる時でした。

 

日本酒特集の見開き一面でうちの店を出してくださったんです。

 

これがきっかけでお店が少しずつ上向きになり始めました。

その効果は1年間続いたんです。

 

ドカンとお客様が来た、というのではないんです。

では何故1年間続いたかというと、一度雑誌で一面に出ると、その後「HO」(ホ:北海道情報誌)が取材に来てくださいました。

続いて「O.tone」(オトン:札幌発の遊び・飲食等の総合情報誌)が取材に来てくださったんです。

その後更に、「マハトマパンチ」(北海道で当時放送されたバラエティ番組)というテレビの取材も来ました。

「O.tone」では、記事だけではなく、当時のカモシヤで撮影した写真が表紙になったりしました。

写真見てわかる方からは沢山の方に「表紙になってるね!」とご連絡をいただきました。

 

そんな感じで2年目にお店が盛り返してきました。

 

 

そこからは、自分のできる限りの力を使ってのし上がっていきました。

 

雑誌などに出て、お客様が増え始めた時もしばらく一人でやっていましたから、サービスが低下してしまっていました。

「あ、これはやばいな」と思ったときに、それまで自分1人でやっていたところに、一気に2人を雇いました。

 

お客様がずっとたくさん来ていただけますから、自分一人で接客もして、料理もして、洗い物もして、飲み物も出して、という状態にもう無理があったんです。

アルバイトさんには、接客もそうですが、それ以前にまずオーダーがあったら飲み物を注げるくらいで良かったんです。

 

僕1人の時は、僕が料理しているときにお客さんに呼ばれてもすぐに行けなかったので、ただご注文をお聞きしてもらうだけでも全然違うんです。

先にサービスレベルを上げるために、1人ではなくいきなり2人を採用したんです。

時給も高めに設定しました。

 

例えば、満席でお客様を返さなければならなくなった時に、必ず外までお見送りする、ということができるかできないかで、そのお客様がまた来て下さるかどうかが変わると思うんです。

せっかくおこしいただいたお客様な訳ですから。

カウンター越しに「すみません」というのと、外までお見送りして「すみません」とでは、こちらの気持ちの伝わり方が全然違うと思うんです。

サービスについては、R社で多くを学ばせていただいていたことも活きました。

 

1人でやっていて、満席の時にお客様が来てくださって、カウンター越しに「いやーすみません。またおこしください。」なんて自分のサービスじゃないんです。

「せっかくおこしいただいたのに本当にすみません」とお店としてしっかりとお伝えしたいんです。

料理中か何かの理由で僕がどうしても行けなくても、スタッフがしっかりと外までお見送りしてしっかりとお詫びをそのお客様にお伝えしたいんです。

そのためだけでも良いので、それをしたくて人を2人雇いました。

 

そして、料理を増やしました。

1人でやっていた時は火を使わない料理が中心でした。

火を通す料理をしているときに、お客様呼ばれてもご対応できなくなってしまうからです。

アルバイトさんを雇ってからは火を通す料理も増やしました。

 

燗酒も本格的にやり始めました。

お酒の種類も、お店の中で保管できる最大限まで増やしました。

 

開店1年経ったところで一度どん底になりましたが、その後盛り返してからは売上を落とさずにいきました。

つづく