16水野 晶仁 氏 第1章 WEBディレクション 【株式会社ギアエイト 代表取締役】

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水野 晶仁 氏


株式会社ギアエイト
https://gggggggg.jp/

代表取締役

略歴
2008年 1月 創業
2009年10月 法人化

事業内容
Webサイトのデザイン・コーディング及び構築
(WordPress・MovableTypeを利用したCMS構築)
インターネットを利用したマーケティング戦略の立案、及びコンサルティング
インターネットによる広告業、広告代理業、及び販売促進に関する企画の代理業
CI/VI 企画 グラフィックデザイン他


 

 

1.起業するまで

 

大学では商業の勉強をしていたので小売業で働きたいと思っていて、そのまま大学卒業後の2000年に大手ホームセンターに就職しました。

就職先を決めた理由は、「木材のバイヤーになりたい」と考えていたから。

でも入社後は、お客様のニーズを理解するために、まずは小売りの原点である店舗で働くことになりました。

当時、全国で3番目か4番目に敷地面積が大きかった恵庭の店舗に配属されて。

売れ筋の商品、季節毎に売れる商品、シーズンごとの売り場づくり、商品の発注やパートさんの最適な管理手法などを学びながら経験した時期です。

 

入社後1年が経って、上司とのレビューで「バイヤーになりたい」と言ったところ、「バイヤーになれるのは45歳を過ぎてからだ」と言われました。

まだ僕が22歳の時です。

 

これから20年以上待たなければならないのは辛いな、と単純に思いました(笑)

 

店舗での仕事が楽しくなかったわけではありません。

でもやりたい仕事は木材のバイヤーでしたから、入社2年目で転職を考え始めました。

 

僕はもともと絵を描くことが好きでした。

少しずつ、転職をするならデザインの仕事をしたいと考えるようになっていました。

その頃、デジタルハリウッド札幌校という専門学校が札幌にできたんです。

1期生の入学には間に合わなかったんですが、すぐに2期生として入学しました。

ホームセンターの仕事はシフト制で、当時僕は水曜日と土曜日が休み。

丁度よく専門学校では水曜日と土曜日に開講講座があったんです。

仕事の日は店舗で仕事、水曜日と土曜日は朝一度店舗に行って指示出しなどをしてから、電車で札幌に行って専門学校で夜まで勉強をする、という生活を1年間続けました。

休みはなかったんですが、あの頃は休まなくても大丈夫だったんですよね。

 

1年間の専門学校でデザインの基本を学び、働いていた会社を退職することにしました。

新卒で丸3年間働いてからの退職でした。

 

専門学校を卒業したばかりでは実績がありませんから、いきなりバリバリのデザイナーとして働くことはできません。

そこで実務経験を積むために、短期のアルバイトでデザイナーの仕事をしました。

募集の名前は「デザイナー」でも、実際にはほとんどがポスターをカットする仕事や、パネルに何かを貼る、印刷の色味をチェックする、商品を撮影した写真に写っている余計なものをフォトショップで取る、などの仕事でした。

そういった短期の仕事をやっているとき、あるアルバイト先の会社から「社員として入らないか」とお誘いいただいたんです。

 

その会社では、主に飲食店のメニューブックのデザインやポスターの制作などをやらせていただきました。

当時は忙しくてなかなか家に帰ることができませんでしたね。

今だと色々と問題になると思いますが、当時は4日連続で家に帰れないような日もありました。

 

でも「帰れない」というより「帰らなかった」と言った方が正しいかもしれません。

スタートが他のデザイナーと比べて遅かったので、先輩デザイナーはみんな年下、という状況だったんです。

僕の場合、大学を出て3年間小売業で勤務してからの「デザイナー見習い」でしたから。

他のデザイナーは19歳、20歳なのに、僕だけいきなり25歳(笑)

そういうこともあったので、急いで勉強するために他の人より多くの仕事をするようにしていました。

 

2年ほど経ち、そろそろ手に職がついた、と思えたところで独立を考え始めました。

 

27歳の時ですね。

 

自分一人なら、知人から仕事をいただいて食べていけるんじゃないか、と考えていました。

そんな時に、立ち上げたばかりの別の会社からお誘いをいただいたんです。

Webマーケティングを中心としたビジネスをやっていこうとしている会社でした。

2人で立ち上げたところに、「3人目として来てくれないか」と言っていただいて。

そこの会社には初めから「2年ほどで独立します」と伝えて働くことにしました。

4月に設立した会社で、僕が入社したのが7月。

その会社で2年半ほど、Webのデザインとディレクションを経験させていただきました。

スタート時は営業1人、コーディング1人、デザイナー1人、というシンプルな3人体制。

ベンチャーキャピタル等からも出資を受けて設立した会社だったので、2年目には20人ほどの会社になっていきました。

 

その会社でWebのディレクションを勉強しました。

 

当時としては早くから、CGM(コンシューマー・ジェネレイテッド・メディア)というユーザー参加型メディアを制作・運営していました。

札幌のプロサッカークラブのWebメディアを運営していたんです。

サイト内でサポーターさんが自分たちでブログを作れる仕組みでした。

サポーターさんたちが僕らがデザインしたテンプレートから好きなものを選んでブログを作り、好きな選手の紹介ブログや、そのクラブに関することを好きなように書いていく、というものです。

サイト内には何千本ものブログが立ち上がっていきました。

それと同じ仕組みを使って「札幌100マイル」というサイトも作りました。

札幌から100マイル圏内にある飲食店やアクテビティなどを紹介するメディアです。

メディアを運営するには広告営業が必要となりますから、営業社員として急激に人を採用したんです。

そうやってメディアも複数できて、会社を運営する組織やスキルも蓄積。

スタートアップとしては十分なところまで来たと感じ、独立を決心しました。

 

 

実は最初に就職をした会社を辞める時に、「30歳で独立します」と言って辞めていたんです。

自分の中では30歳で独立することは決まっていた。

「来るべき時が来た」という感じでした。

 

 

 

2.独立の理由

 

自分で言うのも変ですが、最初の会社では、店舗の坪数が大きいところには入社後の研修期間で成績が良かった人を配置することになっていたらしいんです。

僕は大きな店舗に配属されたので、当時の教育担当の人からも直接「お前は早く上に上がっていってほしい」と言われていました。

 

研修時の成績も良く、期待されていたと思います。

その状態で会社を辞めるということで、沢山の方から反対された。

 

「せっかくこの大きな会社でこのポジションを得て将来も安泰なのになぜ?」

「せっかくいい会社にいるんだからそのままいた方がいいよ」

 

多くの人から止められました。

 

それを振り切るのに「いや、俺は30歳で独立したいから」という言葉を使ったんです。

当時の店長にはびっくりドンキーで退職の話をしてそう言ったんですよね(笑)

自分を鼓舞するための言葉でもあったし、単に皆の引き留めを振り切るために言っていた言葉でもあった。

本当は大きな明確な目標があってそう言っていたわけでもなかったんです。

でも今考えると25歳くらいで大風呂敷を広げて「30歳で独立します」って言っちゃったのが、ずっと頭に残っていたんでしょうね。

 

でも口に出して言うことが物事の実現に繋がっていくと学びました。

言葉にせずに何かを成し遂げるということは相当意志が強くなければできないと思います。

言葉にして「やるしかない」という状況に自分を追い込んだ方が物事を達成しやすいんじゃないかな。

今でも常に宿題提出前夜、という状況を自分に作っているんです(笑)

 

 

 

3.起業

 

2008年1月1日で起業しました。

僕は1月20日生まれなので、ぎりぎり31歳になる前です(笑)

 

独立前はWebマーケティングの会社として北海道では多少名前が知れた会社にいましたから、仕事自体はできる自信がありました。

でも独立してしまうと、最初はそもそも仕事が全くない(笑)

起業する前月に1か月間ドバイに行っていたんです。

まだ「夜明け前」のドバイには、「これから世界がめっちゃおもろくなるぞ」という雰囲気があって、いつか海外で仕事をしたいなんて大きなことを考えていました。

 

ところが帰ってきて開業したら仕事が全くないわけです。

そんな大きな話考えてる場合じゃねーぞ、という感じでした(笑)

「明日のごはんどうしよう」って。

 

起業時の創業資金は4万8千円でした。

それで全財産です。

それしか貯金がなかったんです。

大誤算でした。

「しまった」と思いました。

 

先輩たちから「自宅で仕事はするな。お金は無くても事務所を借りろ」と言われて、事務所も借りていました。

有名な建築家の方が良くしてくださって、その方の会社の小部屋を貸してくださったんです。

コピー代、電気代、水道代、駐車場代込みで、ミーティングスペースも利用できて受付の方も僕の仕事のための対応もしてくださって、月5万円でいい、と言ってくださった。

 

でも仕事が全くないわけなので、3か月くらいその家賃も支払えませんでした。

いろいろなものを滞納して、たくさん督促もきました(苦笑)

 

 

 

 

4.起業後

 

仕事がないから、あっちこっちで「なんでもやります」「それやります」と言い続けていました。

「3000円でバナー作る?」

「はい。3000円のバナー、めっちゃ作ります!」

3000円のバナーなのに10種類くらいのパターンを作って提案したりしました。

「こんなにいらないんだよ!」なんて言われて。

バナーに気合を入れすぎていました(笑)

そんな時期を過ごしながらも、少しずつ仕事をいただけるようになっていきました。

 

そのうちにランディングページのデザインをいただけるようになったり、コーポレートサイト制作の依頼をいただいたりするようになっていきました。

起業して半年くらい経った頃からそうなっていったので、苦しかった時期は割と短い方だったんではないでしょうか。

でも事務所なんて無理して最初から借りなくてもよかったのに、先輩方の話を真に受けて事務所まで借りて、家賃滞納して怒られて。

ろくでもない独立ですよね(笑)

 

 

 

 

5.転機

 

起業した年の終わりごろに、北海道の大手新聞社のWebサイトリニューアルのコンペに参加できることになったんです。

 

でも当時は一人でやっていましたからそんな大きな仕事はもちろん一人ではできないので、映像会社、Web制作会社、システム会社の3社のジョイントベンチャーで提案することになりました。

 

コンペジターには大手の会社さんも多数参加していました。

そんななか、私たちの小さな会社のジョイントベンチャーが参加していいんでしょうか、という感じでした。

年末にプレゼンして、翌年に私たちのジョイントベンチャーが採用されることが決まったんです。

その年の年末までには納品を完了していました。

 

新聞社のWebサイトリニューアルですから、当然その新聞に大きく取り扱われる。

私を含む3社のコメントを出していただいたり、Webサイトの機能も大きく紹介されたんです。

その後大きな会社や広告代理店さんから仕事をいただくようになっていきました。

 

今思えば、この仕事が本当に大きな転機でした。

 

でも当時はがむしゃらにやっていたので、仕事が増えたという感じはしていなかったんです。

とにかくいただいた仕事をしっかりやる、ということをひたすらやっていた。

 

少し話が戻りますが、その当時上海で現地の調査の仕事を依頼されて、2008年の夏から10か月間ほど上海と日本を行き来していたんです。

新聞社さんの仕事が決まる直前に、一人で仕事をこなしきれなくなってきていたのでアルバイトを一人雇いました。

2009年もそのまま私とアルバイトの2人体制でやっていました。

 

 

新聞社さんの仕事が終わったころ、ベンチャーキャピタル経由で広告代理店の株式会社インサイトの社長を紹介いただいてお会いすることになったんです。

会社にお邪魔すると、インサイトの浅井社長から「当社のデジタルコンテンツの事業を強化したいから顧問になってくれないか」というお話をされました。

もちろん「僕で良ければやらせていただきます」と。

2009年から顧問契約をさせていただきました。

 

そうするとインサイトさんのWebに関する仕事も当社でやらせていただくようになりました。

自分の会社を軌道に乗せるために、この件も大きなブーストになりました。

今は株式会社インサイトの社外取締役にさせていただいています。

 

当社としては2010年に更に人を一人増やして3人体制になりました。

役割分担をしてなんとなく会社の体をなしてきた感じの時期です。

 

その体制に肉付けをするようなかたちで、今の従業員たちが増えていったんです。

 

 

第2章につづく