8 野村 英市氏 警備業【株式会社チュウケイセキュリティ 代表取締役】

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野村 英市氏


チュウケイセキュリティ株式会社
http://chukei-s.com/index.html

代表取締役社長

設 立 平成19年8月8日

事業内容
施設警備業 交通誘導警備業
雑踏警備業 身辺警備業
ビル管理、清掃、設備


見出し

1.若かりし日
2.最初の起業前
3.最初の起業
4.2回目の起業
5.飛び込み営業
6.人として大切なこと
7.正しいことをすれば正しい結果になる
8.「信用」を得ることの大切さ
9.人の為に
10.これから先
11.テレビの特集番組に出演
12.起業を目指す人へ


若いころ間違えた方向へ向けていたエネルギーの先を少し変えると、世の中の為に力を注ぐことに。

「信用」を大切にし、「正しいことをすれば正しい結果になる」という信念を持ち、いつまでも熱い思いは変わらず、更に先に向かって行きます。


1.若かりし日

 

わたしは中学校を卒業するまでは、本当にどうにもならない人間でした。

今だから言えるのですが、悪事の限りを尽くしてしまっていました。

何度も警察のお世話になってしまい、家庭裁判所へ送致されたこともありました。

中学校3年生の卒業近くにまた裁判所へ送致されました。

次に裁判所へ送致されたら少年院に行くことになっていたので、そのつもりで家庭裁判所へ行きました。

 

僕は中学生の時は悪いことしながらも、野球部員でもあったこともあり、捕まりさえしなければ、ある高校へ野球の推薦で進学先が決まっていました。

すると、裁判所では「推薦で進学先が決まっているのであれば、その学校から必要とされているということだ。そこで野球に専念して更生するよう。」ということで、異例にも少年院に行かなくて済んだのです。

 

野球の推薦とはいえ、僕などを入れてくれるような学校ですから、やんちゃな生徒ばかりの学校でした。

そんな環境の中、高校に入ってからは野球に専念しました。

しかし、そう簡単に性格が変わるわけではありません。

高校では、以前なら暴れていたような状況でも、歯を食いしばって我慢しました。

 

僕は入学前に捕まってしまっていたので、一度でも学校で何か起こせば「即退学」が決まっていたのです。

それを知っていた悪友たちも、僕を悪いことに巻き込まない為に、「どこそこで争いがある」など言うことを僕の耳に入れないようにしてくれていました。

 

周囲の助けもあり、野球も続け、無事に3年で高校を卒業することができました。

取材に応じる野村社長

 

2.最初の起業前

 

 

僕が高校の頃は、たまたま僕の周りでいい生活をしていたり、いい思いをしているお金持ちと言えば、すし屋の息子でした。

すし屋の息子が何人か僕の周りにいたんです。

 

すし屋は儲かるんじゃないか。

 

そんな単純な思いで高校を卒業してから、すし屋に修行に入りました。

その時に

30歳になったら、すし屋として自分で独立する

 

と決めて修行に入りました。

そしてその18歳のから

将来自分が持っていなければならないのは「信用」だ

 

と考えていました。

 

その当時のすし屋の修行の給料では、いくら頑張って何年間もかけてお金をためても何百万円しか貯まりません。

それであればお金よりも何よりも大切な「信用」を築いていこう、と心に決めたのです。

 

経営者の方は皆さんわかっていただけると思うんですけど、会社をやっていて、いざ銀行からお金を借りるとか、何かを始めるとかいう時に一番大事なことって「信用」じゃないですか。

挙句の果てには保証人も必要になります。

保証人だって「信用」がないとなってもらえません。

僕はその当時から、何をするにも「信用」が大事だ、と考えてずっとやってきました。

 

中学生の時から社長になるのが夢だったんです。

 

その当時は、ただただ社長になりたかったんです。

すし屋に修行に入ってからもそれは変わりませんでした。

でも実際には、19歳から20歳くらいの時に、社長になるにはできなければいけないことが沢山ある、ということが段々わかってきた時、あれもこれも今の俺は全然できない、ということに気づいたんです。

社会に入って、社会で成功している人を見て、「簡単に社長にはなれないんだな」ということに気づいたんです。

当時の僕は、高校を出ているのに、字も書けない、漢字も書けない、計算もできないわけですよ。

それが経営者になれるわけがない、ということを知ったんです。

 

それから必死になりました。

だから修行しながら、信用を蓄えながら、勉強を始めました。

はじめは孔子や孟子の儒学書を読みました。

 

孔子の本は孔子と弟子の問答の本なんです。

どうやって生きてゆけば良いのか、どうすれば良い方向へ進めるのか、という本です。

今から三千年も前の本ですよ。

その本が今でも人に教えを与えているんです。

 

つまり人間の世界って三千年も四千年も前から、言っていることや、やっていること、悩んでいることなんてそんなに変わっていないということなのだと思います。

 

独立を考え始めた26歳ころからは、集中的に勉強を始めました。

とにかく読書しました。

 

何冊も本を読んでいきました。

本を読んでいると漢字も憶えます。

30歳で自分の店を持ってからは、また拍車がかかってもっと本を読むようになりました。

僕にとって学ぶ方法は、「人と会って話を聞くこと」と「本を読むこと」しかなかったんです。

それが唯一の学校であり塾でした。

それは必死になりました。

 

どんな無法者でも、喧嘩にでも何にでも、負けたら終わりなんです。

勝たなければダメなんです。

20歳を超えた時の僕にとっての勝ち負けは、「社長になるかならないか」が勝ち負けだったんです。

つまり当時の僕にとっては「勝つ」ということは「社長になる」ということで、そのためには「信用を得ること」と「知識を身に着けること」が絶対必要ということが分かったんです。

「信用」を得るには時間がかかりますから、それは淡々とやるしかありません。

 

「知識を得る」「判断材料を得る」にはたくさん勉強しなければならない、ということに気付いたので、その時は鳥肌が立つくらい「まずいぞ!」となったわけです。

 

このままでは「口ではでかいことを言っていたくせに、やれることはそんなもんかい」と世間から言われてしまう、と思ったんです。

 

それでは負けたことになってしまうんです。

 

そういったことが、自分の中にあった無法者の意識を削っていってくれました。

「勝つ」には「今は勉強して学ばなければならない」、と変わっていきました。

 

無法者のままでは生きていけない、ということに気付きました。

 

無法者では、世間は誰も評価してくれません。

争いが好きで、昔は粋がっていましたが、そんなもので飯は食べれないと分かったんです。

世の中で勝ちえる者の種類は決まっているんです。

そのことに気付けたことで変な欲が無くなっていきました(笑。

 

 

 

3.最初の起業

 

決めた通りに、1995年に30歳で独立しました。

 

すし屋をやっているときに、カウンターにお客さんとしてサラリーマンの上司と部下が来て話す内容といえば、まず愚痴でした。

更に、部下の方が、どっちが上司でどっちが部下なのかわからないような口のきき方をしていることが目立つようになってきました。

お店の中で、そんなことを目にすることがどんどん増えていきました。

カウンターでそういった光景を見るごとに、「世の中おかしくなってきているんじゃないか」という不安が日に日に募っていきました。

はじめはそういった状況に対して、すし屋の仕事で何かできないだろうか、と考えていました。

ところがその時期同時に、すし屋の業態自体が長続きする業態ではないな、という状況がおこっていました。

何故なら当時は、回転ずしのレベルがどんどん上がっていったんです。

これはこの業態のままで右往左往しても無理だぞ、という雰囲気になってきたんです。

 

その頃の若い人は、社会人になる前に学校などで礼儀や礼節、上下関係を教わっていないんでしょうね。

社会に出る前にそう言ったことを知る境遇が少なくなってきていたんだと思います。

2005年頃から、すし屋をやりながらも、会社や仕事を通じて、上下関係や道徳を教える方法はないだろか、と考え始めるようになりました。

そうしたら、僕の周りに警備業の業界で活躍して実績を出している友達であり後輩がいたんです。

その後輩が、「警備業界は従業員が入社する時と、入社後年に2回しっかりとした教育の時間があります。だから塾を開くなどするよりも、警備というカテゴリーの中で野村さんの考え方や気持ちを伝えたり、世の中の実態を教えたりすることができますよ。」と助言してくれたんです。

なるほどな、と思いました。

 

警備員は決まりで入社時に30時間の研修と、年に2回の研修を受けさせなければいけないんです。

僕は警備の「け」の字も知りませんでしたが、自分も学びながら新しく視野を広げられるかもしれない、と考え「やってみよう」となったのです。

 

「警備をやる前に社会人である」

「社会人である前に人間である」

「今生きている人間である前に、親、祖父祖母、先祖がいて連綿とつなげていただいた先の自分である」

と言ったことから始まり、人として大切なことをしっかりと皆に伝えていきたい、と思ったのです。

「その中で警備員として仕事をするんだよ」「大人として生活するんだよ」ということを「伝える」というよりも「皆に提案してゆきたい」と思いました。

 

それが今の会社をはじめるきっかけでした。

 

 

 

4.2回目の起業

 

警備会社を起業したのは、すし屋として独立して12年が経った2007年、42歳のことでした。

 

何かをする時には、頭で思っているだけではだめで、どうなるかはわからなくても、口に出して人に伝えることが大事ですね。

「俺はこうなりたいんだ」「俺はこうやりたいんだ」ということを口に出して言うことです。

できるかどうかわからなくても口に出すことです。

しっかりとした意思を持ったうえで口に出して言うことで、思っていることが叶ってくる、ということを実感しました。

口に出して言うと、その言葉に反応してくれる人が出て来てくれるんです。

その前提としては、その人のそれまでの生き方が付いてくることも事実です。

だからやはり自分は18歳の時に「信用」を大切にしよう、と決めて生きてきて良かった、と思いました。

修業を始めてから25年、独立してからは12年間やったすし屋でしたが、それをやめて新しい業界に行くことに迷いはありませんでした。

 

たった1回の人生です。

 

たしかに創業するにあたり借金をしたり、今までお世話になった方々に会うことができなくなったりだとか、そういう大変なことはありましたが、その時はとにかく前を向くしかありませんでした。

まず自分のやりたいことをやってみよう、と思ったのです。

「どうしてもやりたい」という強い思いがあったからこそ、踏み出せたのだと思います。

 

警備の業態でやることを決めて、入社してくる従業員に僕の思いを伝える場所さえできれば、正直自分は贅沢など望んでいなくて、飯だけ食べていければいい、という思いでした。

 

利益を求めるのではなくて、自分がやりたいことを実現したい、という思いでした。

 

それにはまず「自分がやりたいことは何なのか」ということともう一度しっかりと向き合って、考えていくことから始まりました。

 

そして世の中の為になることをやり続けていけば、それが自然と売り上げとなり利益となるだろう、と信じていました。

 

創業の借金もありますし、すし屋をやめるリスクも勿論ありましたけど、そこに自分の思考の重きを置くよりも、まずはやっていきながら必死でどうにかすることでなんとかしていこう、と考えていました。

 

まずは本を読みました。

 

警備業とはどういう仕事なのか、警備業界とはどういった業界なのか、警備業はどういった経緯でここまで来ているのか、そして今の警備業とはどういう状況なのか、警備にはどういう種類の警備があるのか、自分で本を何冊も買って相当勉強しました。

更に勉強の為に、会社を始めて警備の仕事を受注した時には、何度も自分で現場にも出ました。

警備には施設警備や交通誘導警備、身辺警備などいろいろあるんですが、現場に出るとそれぞれの専門用語などがあり、現場じゃなければわからないことが山ほどあるんです。

それはまず自分で体験しなければ話にならない、と思い実際に自分でヘルメットをかぶって、真夏の暑い中も、冬の寒い中も、皆と一緒になって現場に出ました。

交通誘導などは、工事現場の職人さんたちがたくさんいます。

こういう人たちの心をつかむためにはどうしたらよいのか、ということも現場で感じ取りながら何年も現場に入り続けました。

 

 

5.飛び込み営業

 

 

警備会社を設立したときは、僕の後輩であり友人でもある警備会社の社長が一つ二つの仕事を紹介してくれました。

それと同時に従業員を集めることも始まりました。

僕は、現場にも行き、面接もして、警備の勉強もして、入社した従業員への教育もして、というようにフル回転で仕事をしました。

そういったことをしっかり進めるためにも、まだ採算が合わないのに、更に従業員も採用してゆかなければなりませんでした。

そうすると一番必要なのはやはり仕事ですから、自分で飛び込み営業を始めました。

 

飛び込み営業は自分で相当やりました。

 

話は少し遡るんですが、すし屋をやっているときに、カウンターに来ていたどっちが上司かどっちが部下かわからないようなサラリーマンの営業マン達の、会社の悪口とか、営業の仕方に対してあーでもないこーでもないというような話をしているのを耳にしていたんです。

それを聞いていて「この人たち大したことないな」「営業力ないな」「俺が営業だったらだったら絶対結果出せるのに」「営業やってみたい」と思い始めていたんです。

しかもそんなことを考えているうちに、根拠もないのに何故か営業して結果を出せる自信が出てきていたんです。

 

すし屋の頃は、お店に来ていただいたお客様に対する営業でした。

今度の警備会社では、外に出て行くことができるんです(笑。

それができることが嬉しくて嬉しくて(笑)。

ようやく自分を試すことができるんです。

すし屋の頃は頭の中で「絶対できる」と思っていましたが、「俺って本当に営業どれくらいできるんだろう」ということを実際に試すことができるんです。

 

先ほども言いましたように、本を読んで勉強をしてまず業界の知識をある程度頭にもいれて、外に出ました。

「あ、この看板の会社名見たことある。あそこで工事していた会社だよな。」となったらすぐその会社に入っていきました。

ふと何かを感じたら、思いついたらどんどん会社さんに入っていきました。

 

もちろんアポなしです。

結構それが良かったんです。

良い結果に結び付きました。

アポなしで「こんにちは!!」と大きな声で入っていくんです。

今までその業界に対して、そういう営業マンってあまりいなかったらしいんです。

「アポ取ってあるんですけど~、、、」って静かに入って来ていたらしいんです。

僕は堂々と、皆さんがびっくりするくらいに「こんにちは!!」と言って入っていって、「こういうものなんですが責任者の方いらっしゃいませんか!」と、責任者の方にも聞こえるように大声で言うと、いやでも会わせていただけるんです(笑。

会っていただけると、責任者の方も興味を持ってくれたりして、「わかった。じゃあ最初は実験的に使ってみるわ。」という感じで契約いただけたんです。

 

そういう契約が何件もありました。

 

友人からの紹介の仕事の他に、自分での営業で契約いただいた仕事が決まってゆきました。

そうすると今度は人集めですが、当時は今と違い、求人広告を出せばある程度人は集めることができていました。

そうやって、営業、現場、求人、教育を並行してやって会社を立ち上げていきました。

当時はフル回転でしたが、時間が短く感じていました。

あれもこれもやらなければなりません。

 

 

 

6.人として大切なこと

 

経営者には労働基準法は適用されません(笑。

これは世の中に大きな声で言いたいです(笑。

でも労働基準法の適用がない社長の僕が、そうやってフル回転で働いたので、会社の骨組みができていったんです。

それで会社の形ができていったのと、当社で働いてくれる人たちの心をつかむこともできていったのではないかと思います。

例えば、一般的には現場の人と経営者の間には、温度差や距離が生まれがちです。

しかし、僕が現場に入ると、現場のお客様も僕が社長だとは知らないわけです。

それであとから社長だとわかると「えー!なんで社長がこの現場にいるの!?」となるわけです。

そんな時には「社長が、お客様や従業員を口では大事だ大事だと言っても、行動で示さないと本当の気持ちは伝わらないと思うんです。僕はまだ修行している段階なので、そのためにも僕に現場の仕事をやらせてください」と言ってそのまま現場に入れさせていただくんです。

そういう僕の姿をみて現場の従業員も「あー、社長は現場主義でいてくれていから、自分たちが暑い思いをしたり寒い思いをしたりしていることをわかってくれるんじゃないか」という感じで、少しずつ気持ちも繋がっていきました。

従業員や幹部から「もう現場には来ないでほしい」と言われるまで、創業してから6年ほどは現場に出続けました。

 

お客様から「もう社長は来ないでほしい。われわれが仕事をやりにくい。」とも言われはじめていました(笑。

同じ時期に会社も成長し、僕の仕事の代わりをしてくれる従業員ができていたこともありました。

僕が出ていくと、そういった従業員が育たなくなってしまいます。

そういうことも重なり、現場に出ないようになっていきました。

 

こうして会社も骨組みができて、僕も現場に出てはいけない(良い)状態になって、そこでもやはり僕は、すし屋の修行を始めた頃の気持ちである、「信用」を大事にして仕事をしていきました。

「信用」というのは口で言っても何も見えませんから

そのために人として「徳」を磨くことが全てだと思っています。

 

 

当社の経営理念は「徳」のことを基本として作ってあります。

全て自分が経験してきたことです。

嘘はばれますし、正しいことは結果でしか見てもらえません。

人から必要だと思われる人間になることは当たり前のことですし、「あの人の言っていることは信用できる」「あの人の話なら聞いてみようか」「あの人であれば話を聞いてもらいたい」と思われるような人間に、自分自身がなっていたいし、他の人にも、そうなったほうが得だと思う、ということを伝えていきたいんです。

そういったことも含めて「信用」と言っています。

孔子の言葉に「仁義礼智心」という言葉があります。

「信用」つまり徳を得るには「仁」「義」「礼」「智」「心」の全てが必要である、という言葉です。

人間というのは、徳が備わっていないといけないんだと僕は思うんです。

このことを会社の中で従業員に説いていくことは、一見すると売上とは関係のないことのように見えると思います。

そして僕も、このことを説いていくことで売上につなげよう、と思ってやっているわけではないんです。

少しでも世の中の役に立ちたいと思い、やっていることなんです。

しかし、結果的に従業員にこういったことを説いていくことで、売上に繋がっていっています。

何故かというと、当社の仕事は人そのものが商品となっているからなんです。

そこに行きつくんです。

 




7.正しいことをすれば正しい結果になる

 

創業した頃、月末に資金が足りなくなりそうだ、ということが幾度かありました。

ところがそういった時に限って、必ず良い案件が当社にもたらされました。

何故そうなるのかは、今でもわかりません。

「助かった。。。この案件が無ければ会社は潰れていた。。。」

という通常の利益の何倍にもなる案件をいただいたりだとか、「ちょっとこの案件やってくれないか」というのが大きな案件だったりだとか、何故かそういうことが起こっていました。

「月末まずい!」という状態になった時は、腹をくくって「なるようにしかならない」としていたら、何故かそういった案件に救われていたんです。

 

創業してからは、月末のことを考えるなどして、朝起きて嗚咽をすることなど何回あったことか。

これは経営者だけではなくて一般の方にも言えることだと思うんですけど、「来月の1万円が足りない」とか「あと5千円あれば」という時ってありますよね。

僕はその5千円、1万円を稼ぐためにはどうしなければいけないんだろう、という時は

脳みそがねじれるほどに考えるんです。

 

ボケっとしているわけでは絶対にないんです。

だれかに借りれば一番早いかもしれません。

しかし、その方法に頼らずに

しっかりと何かを提供してそれを対価にかえる良い方法はないだろうか

 

としっかりと考えるんです。

 

当社の場合は「人」が商品です。

 

その「人」をどうやってご提供してゆくか、ものすごい頭をひねって考えるんです。

本当に厳しいときに、とにかく悩んで、例えば普通1万円で契約するところを、「5千円でどうですか」「試しということで千円でどうですか」とすると、明日の電気代にはなるかもしれない、ということをしていると、その先に良い案件を頂くことになって、何故か乗り越えることができたりしました。

本当に悩んで、頭を使って、乗り越える方法を考え続けることが大事ですね。

そうすると、知り合いの知り合いの知り合いの人の案件を頂いたりするので、やはり「信用」は大事ですし、これまでやってきたこと全てが生きていて、助けていただいたんじゃないかな、と思っています。

 

少し前までは、「正しいことをしていれば正しい結果になるだろう」と言うことを信じて、正しいことを追求していくという考え方でした。

 

例えば「人に対しては嫌なことを言わない」「自分がされたら嫌なことを人にはしない」というような基本的なところから始まり、何が正しくて何が間違いなんだろう、ということを毎日しっかりと考えてながら行動してきました。

 

そしてまた繰り返しですが

「正しいことをすれば正しい結果になる」ということだけを信じて生きていました。

 

 

最近はその考え方が、結果として正しいことなんだ、と確認できるようになってきました。

「やっぱりそうだったか」と。

今までは、思ってきたこと、やってきたことが、現実として「正しいことをすれば、正しい結果になる」ようになってきたんです。

今までは、その結果を確認する余裕もなかったのだと思いますが、最近は正しい結果になることを少しずつ確認できるようになってきたんです。

人って、悩むことも喜ぶことも種類はそんなに変わらなくて、20代の悩み、30代の悩み、40台の悩みって、内面の種類は多少違いましたが、その悩んでいたことの大きな答えを見つけられたような気がします。

「信用」が一番大事で、それを得るためにはどうしなければいけないのか、ということをいつも考えて18歳の頃から必死にやってきましたが、その「信用」を得るための自分の考えや行動が本当に正しいのか、合っているのか、常に疑問をもってやってきていたんです。

お客さんがついてきてくれるようになってきたり、従業員がついてきてくれるようになってきたりすることで、僕が考えていた「正しいことをすれば正しい結果になる」ことが正しかったのだということを確認できるようになってきました。

 

 

 

8.「信用」を得ることの大切さ

 

自分で事業をやっていると「信用」にはお金がついてくるんです。

「信用」で借金をするんです。

僕は常にその判断は「信用」につながるのか、その行動は「信用」につながるのか、ということを考えて生きてきました。

 

「お金が大変な時に、「信用」「信用」なんて言っていて大丈夫なの」と言ってくる人もいました。

でもようやく最近は、やっぱり「信用」が大事なんだと、少し確信となりつつあるんです。

少し前までは自分が現場に出ながら、フル回転で仕事をしていましたが、今は社員がそういうことをやってくれるようになり、少し自分を顧みる時間が出来てきたから、そう思えるようになってきたんだと思います。

 

これからは、この会社を場合によっては違う分野で皆を率いていかなければいけないんだ、と思っているんです。

その前にほんの少し、そういったことを確認できる時間が出来て、確認した上で、今度はどっちの方向に行けばいいのか、どのように進めていけばいいのか、というように何かを始める前に考えてから動けるようになってきました。

私と会社にとって、今はそういう時期なのかもしれません。

ああいう人と出会えた、こういう結果になった、昨日までは分からなかったことに今日出会えて、そのことが自分の人生の引き出しになったり。

そういうことの繰り返しで、警備会社を始めてからこの12年間来ることができました。

 

人の人生って、結果は後から出てきますけど、先ってどうなるかわからないじゃないですか。

僕は、大切なことを確信できた今は、これから先が今から楽しみです。

また明日から、自分にとってもそういう新しいページが出来てくるはずなので。

そういうことを考えるのが結構最近、楽しいな、と思えるんです。

あの人と付き合ったらお金になるのか、とか、あの人と付き合ったら仕事になるのか、とか損得勘定ばかりで近寄ってくる人も沢山います。

 

でも滝さん(本インタビュー第1号:大高坂滝社長)やYさん(筆者)とも、ボクシングジムっていう仕事とは全く関係のない所で知り合ったわけです。

長い間ジムに通って、長い時間をかけて知り合って、仕事とは全く関係が無くても信頼しあって、人として付き合って、そこから刺激をもらったりしているわけです。

人とのめぐりあわせというのは本当に面白いなと思います。

 

僕は常に、自分で沢山授業料を払って、ほんの少しでも自分の勉強になれば、と思っています。

簡単に「仕事やお金になりそうだから」と近づいてくるなんてもっての外ですよ。

 

 

 

9.人の為に

 

歴史は繰り返します。

 

僕は昭和から生きていて、今はもう平成の30年です。

その前には大正があり、明治があり、その間に戦争もあり、先祖たちが繰り返してきた歴史の中に今僕たちは生きているんです。

この事実をまず教えていかなければいけないと思っています。

突然「昭和」や「平成」が始まったわけではないんです。

全部歴史は繋がっているんです。

極端に言うと縄文時代から繋がっていること、或いは今のあの問題は実は江戸時代から繋がっていること、ということもあるんです。

そういった事実は細かく分類することができると思っています。

そういうことは学べばわかるんですが、学ばないでいると理想論ばかりになってしまうんです。

 

例えば我々は今、「文明の利器」に助けられて平和に生きています。

だれも戦争なんかしたくないはずです。

普通は皆、平和しか望まないはずです。

では平和でいる為にはどうすれば良いのか、ということの判断を我々大人がしっかりとしてゆかなければいけないのです。

僕には子供も孫もいますから。

 

何が正しくて、何が間違いなのか、という道標を示すための我々の唯一の行動は選挙だと思っています。

選挙に至るには色々な考え方があるので、それを僕が、こうしなさい、ああしなさい、ということではもちろんないんです。

でも間違えた情報で間違えた判断をしてしまってはいけないので、マスコミや報道に振り回されることなく、歴史の事実や世の中の事実をしっかりと伝えてゆきたいと思っています。

そのかわり、そういったことを私は徹底的に調べて、だれからも文句を言われないように、しっかりとした資料が残っている事柄だけを調べて、しっかりと準備してから従業員にお伝えしています。

その上で自分はどう考えるかを決めて判断しなさい、としています。

例えば経済でいうと、少し前までデフレ経済でした、どうしてそうなったのか、ではこれから解決するためにはどうするべきなのか、これを解決するには何年もかかるという経済の事実、マスコミの多くは短いスパンで捉えて「国民が豊かさを実感できない実感できない」といって政治を批判するけど、そもそも経済っていうのはそんなにすぐに結果が出るものでなくて、3年も5年かかるものなんだよ。

そういった事実をお伝えするんです。

可能な限り事実に基づく判断材料だけしっかり伝えて、あとはそれぞれの判断でしっかり投票をしてほしい、という願いからそういうことをしています。

 

僕は、人の為に何かをしたら、良い形で自分にも返ってくる、と信じています。

 

例えば、会社をやっていても、「節税」「節税」とするのではなくて、少しでも多く適切な税金を払った方が、後で必ず自分の会社に返ってくると信じています。

 

先ほども言った「正しいことをすれば正しい結果が返ってくる」ということです。

 

そんなことを言うと「おまえはバカか」という経営者の方もいらっしゃるかもしれませんが、それでも僕はそれを信じています。

 

例えば、戦前の教育の中には、本当に良い教育もあったんです。

「人の為に自分を犠牲にすることもあるけれど、それは後から義理、人情となって自分に返ってくる」というようなことを教育としていたんです。

だから人が困っているところをみたら、自分のもっているわずかなお米でもその中から少しでも人に与えてあげる、とか、自分は芋を食べるから、お前はこの米を食べろよ、というような教育をしていたんです。

それがあとから自分に返ってくるものなんだと。

譲り合いや助け合い、という教育もあったんです。

今の会社ではそういうことも教えています。

これまでもこれからも続けていきたいと思っています。

 

まず僕自体が、人に助けられてここまで来ることができたからです。

僕は「誰かを助けよう」なんておこがましいことは言いませんが、人に何かを尽くすこと、それが人なんだよ、ということです。

 

私自身、会社の経営でも、創業時の苦しい頃は、会社の為に、自分が一番低い報酬にしていた時もありました。

 

私にとっては、自分の犠牲なんて楽なんですよ。

 

自分が飯を減らして辛抱すれば、従業員に飯を食べさせてやることができるわけですから。

私の性格的に、大変な時に人にそれを求める方が辛いんです。

従業員の為に、自分の給料なんて何回も下げてきました。

でも僕が経営者である以上、全て僕の責任ですし、自業自得ですから。

そうすること自体、苦しいとか辛いとかなんて思わなかったです。

 

 

10.これから先

 

社員に対して、自分に対して、これからも何も変わらずに、人として正しく生きる、ということを続けていくのがまず大前提です。

 

自分で商売をしている端くれの一人としては、今は警備業ですが、まだ世の中には違う「業」がたくさんあります。

今、自分の才能でできることってまだあるんじゃないか、っていう気がしてならないんです。

きっかけがあるならば、いろいろな業態に、挑戦する前に一度覗いてみて、できそうだとなったら挑戦してゆきたいと考えています。

 

昨年から少しずつやり始めています。

自分の才能を試すために、いろいろな人と会い、情報を探しています。

 

今の会社と従業員を守り続けることは、これは当然のこととしてこれからもやり続けていきます。

 

それと別に、自分への挑戦として、取り組んでいきたいと思っています。

「挑戦」といえば格好いいですけど、「実験」の方に近いかもしれません(笑。

世の中には優れた人、魅力のある人、憧れる人、いっぱいいます。

僕がたくさん本を読んだり勉強したりしますけど、そういう本を読んでいて「この人凄いな」という人はいっぱいいるんです。

僕はその一人になろう、という訳ではないんですが、僕にだって何かできることがあれば、身の丈でしかありませんが、やってみたい、やるべきだな、という思いを持っているんです。

「たった1回の人生だから」というのは僕の口癖なんです。

「たった1回の人生だから」こういうことをしてみたい、ああいうことをしてみたい、と思うんです。

何かに挑戦したいというのは、ただ上っ面で言っているわけじゃないんです。

そのためにはその考える時間の10倍くらい勉強したり、研究したり、人の話を聞いたりしています。

沢山の人に会って、沢山の意見を聞いて、いろいろ経験して、1つでも2つでも3つでもチャレンジしたいですね。

 

元気なうちにしかできませんから。

 

先輩たちにそうやって言われていますから(笑。

人生何歳まで生きるかわかりません。

僕も80歳まで生きるかもしれないですし、10年後には死んでいるかもしれない。

それだったら今の自分の感覚で、元気なうちに、何かまたできそうなことを見つけてやっていくという挑戦、実験をしていくと思います。

 

もちろんこれは、守るべきものは守りながら、です。

今の会社はしっかり守りながら、です。

 

野球でも守備をしっかりしないチームは負けるんです。

守備はきっちりと自信を持てるくらい練習して、とにかく守備を強化して、その上で打撃に移る、ということです。

僕は野球をかじってきましたから、どんな事業も守備がきっちりしていないと、会社の内部からおかしくなってしまいます。

そういう会社をたくさん見てきました。

守備をきっちりしたうえで、挑戦していきます。

 

 

 

11.テレビの特集番組に出演

 

35歳くらいの時、HBC(北海道のテレビ局)で僕の45分の特集番組が放送されたことがあります(笑。

高校に入れないような悪い人間だったのに、高校に入ることができて、高校を卒業して仕事をして、自分で店を出すまでになって、っていう僕の人生を「面白い」ということで取り上げてくれたんです。

素人の僕の45分の特集番組ですよ(笑。

 

ポイントポイントで考え方を変えて生きてきたのが良かったんでしょうね。

 

人は自分の行いが正しいかどうかもわからない時に、人に認めてもらえて初めてそれが正しかったんだと思える時ってあるんです。

僕にとっては、そのテレビ番組の取材もそうでした。

僕には時々そういうことがあり、道を進んでいくことができたんだと思います。

その時も、「あ、このままでいいんだ。」と思えましたね。

 

経営者の人って、皆さんそれぞれ大なり小なり、それ相当の思いや悩みなどを重ねて、乗り越えながら今の姿があるんだと思います。

経営者の人が知り合いでいるだけで、「俺も負けずにがんばろう」という思いを持てるようになりますよね。

 

今僕が「人の為に」と思うのも、自分が人に対してすごく迷惑をかけてきた時期があったからなんです。

中学から高校にかけての頃です。

親にも迷惑をかけて、友達や周りにも迷惑をかけていました。

自分が勘違いをしていたんです。

先ほども言いました通り、裁判所に助けられて、高校に進むことができました。

多くの人へ迷惑をかけてしまった贖罪と、世の中への恩返しの気持ちもあって「人の為に」という思いが強いんだと思います。

それがあるからこそ、今僕は「人の為に、人の為に」って思えているんです。

 

 

 

12.起業を目指す人へ

 

まずは、人から必要と思われる人間にならなければいけません。

 

これはよく研修でも言うんです。

例えば「良い給料をもらったとして、月々いくら貯金できると思う?」と。

ある程度の給料の中からでも5万円毎月貯金するって大変ですよ。

でも月々5万円貯金したって、10年間で600万円くらいしか貯まらないんです。

ところが自分で事業をしたいとか、何かに挑戦しようとしたら、今の時代600万円ではできることは本当に限られてしまいます。

 

店の一軒も開けません。

 

僕は30歳の時に独立するとき、2,000万円必要でした。

その当時僕に2,000万円なんてある訳がありません。

なけなしの給料を少しずつ貯めて250万円の貯金をつくっていました。

250万円では何もできないんです。

その時、2,000万円の借入をすることになったんですが、その時に保証人になってくれたのが、当時の親方でした。

その親方は「いいぞ。お前にだったら保証人になってやる。お前ならこれくらいの金くらい返せるはずだ。」と言ってくれたんです。

それで30歳の独立の時に1店舗目を出しました。

親方は僕を「信用」してくれていたんです。

その「信用」ってお金に換えることができないものなんです。

その6年後に2店舗目を出すことになったんです。

その時も2,000万円以上お金が必要になりました。

その時にも「もし保証人が必要なら、俺がなってやる」という方が出てきたんです。

「店を出すなら保証人はいらないのか。」と相手の方から言っていただいたんです。

もちろん僕も「いえ、そんなわけにはいきません。」と言うんですが、「いや、いいんだ。おれもお前に一役加担してみたいんだ。」と言ってくださるんです。

それでまた借入をすることができて2店舗目を出すことができたんです。

 

やはり、18歳の時にすし屋の修行に入った時から「信用」ということを一番において生きてきたので、そうなったんだと思うんです。

生きる上で「信用」というものがいかに大事か

 

ということです。

 

今の時代って、若いときは給料も安いのに、携帯電話にお金がかかったり、いろいろお金がかかる時代になっているんです。

だけども生き方そのもので「信用」を得ることにはお金はかかりません。

そう考えると、やろうとおもったらできないことってないんだと思うんです。

僕がすし屋の修行に入った時、同じ年くらいの人の一般的な給料は12万円ほどでした。

その時の僕の給料は3万円です(笑。

その後もずっと人の半分以下の給料でした。

インスタントラーメンをふやかして食べていました。

僕は23歳の時に結婚しました。

すぐに子供もできましたが、その時の給料は9万5千円です。

 

今、物価が高くて子育てが難しいだとか、育児施設や賃金が増えなきゃ子供を増やせないだとか、もっと給料を増やしてくれないと駄目だとか、色々な人が言っていますが、僕にとってはそんなの大嘘だと思っているんです。

僕は9万5千円の給料で結婚して子供も育ててきていますから。

 

バブルの時代です。みないい車に乗っていましたが、僕はある社長が買ってくれた4,500円の自転車で通勤していました。

やろうと思えばできるんです。

その時派手にしていた人たちは、今はみんな小さくなっています。

僕はずっとハングリーで生きてきたから強いんです。

多くの人がなんでも人のせいにしすぎている、と思っています。

そういう人は絶対に上には行けないです。

一時行けてもすぐだめになります。

 

これが世の中の仕組みなんだと思います。