13納口 直樹 氏 第1章 IT【株式会社 i-Fronte 代表取締役】

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納口 直樹 氏


株式会社 i-Fronte
http://www.i-fronte.jp/index.html

代表取締役

略歴
2014年4月 フリーランスにて開業
2016年4月 法人化

事業内容
ソフトウェア開発、Webシステム開発、パッケージソフト販売
各種ソフトウェアの企画、設計、サポート業務、導入支援
ホームページ制作、各種デジタルコンテンツ制作、映像制作
iPhone、Androidアプリ制作、VRコンテンツ開発


「身の丈」を信条として経営をしてきた納口氏。

「驕らない」と

常に「できる範囲」での事業を展開しながらも、IT技術者らしく、新たな技術には果敢に挑戦してゆきます。


 

1.起業するまで

 

神奈川県の横浜市で生まれました。

当時父は、外資系大手企業のトラクターなど農業用の重機を取り扱う部門で働いていました。

父のその仕事の関係で、子供のころから転勤が多く、小学校に上がる前に早来町、小学校に上がるときには苫小牧に住んでいました。

私が小学生になるときに、父は苫小牧で独立して、和菓子やパンなどを小売店に卸す事業を始めました。

 

 

1992年、高校を卒業するときに、戦闘機のパイロットになりたいという夢を実現するために、そのコースの受験をしましたが合格することができませんでした。

どうしてもパイロットの夢をあきらめることができなくて、その後航空自衛隊の千歳基地の一般のコースに入隊しました。

千歳基地で働きながら、戦闘機のパイロットになるためのコースを21歳の年齢制限がある3年間毎年挑戦しましたが、視力の制限で合格することができませんでした。

そこできっぱりとパイロットのコースへの進路をあきらめて航空自衛隊を除隊しました。

 

私は男ばかりの三兄弟です。

一番下の弟が高校を卒業したのを機に、子供が全員手を離れたということで父は店を閉めて、母と一緒に母の実家がある横浜へ引っ越しました。

 

その頃両親は横浜に引っ越しており、当時関東には仕事も多かったことから横浜の両親のもとへ行って1995年に就職をしました。

就職したのは、金型を作るためのNCプログラマーという仕事でした。

CADを使って金型を作るための金属を削るプログラムをする仕事です。

その仕事でプログラミングというものに興味を持ち、惹かれていきました。

当時、付き合っていた今の妻を札幌にのこして、いわゆる遠距離恋愛の状態でした。

1997年、2年間関東でその仕事をしたのち、今の妻と結婚をし札幌へ戻ってきて、札幌のIT会社へ転職をしました。

そこからITを仕事とするキャリアがスタートしました。

 

札幌で初めてIT業界に就職したときは、当時の会社の社長は本当に厳しかったんですが、育てていただきました。

いまだにその社長には感謝しています。

 

話がそれますが、私が起業したときはその方へご報告のお電話をしました。

当時から20年がたっていましたので、その方も年齢を重ねられていて、すでにIT業界を離れて、不動産の投資をやっていらっしゃいました。

電話で「がんばれよ!」と言っていただきました。

 

その札幌のIT会社の時には、3年間東京へ転勤して働いたこともありました。

そのころは西新宿に事業所があったんですが、毎日満員電車に揺られて通勤して本当につらい毎日でした(笑。

私も妻も東京の生活に疲れてきたことから、北海道へのUターンでの仕事を探しましたが、なかなか良い仕事に巡り合えない日々が続きました。

そんなある日、東京で知り合った札幌でIT会社を経営している方に「札幌へ帰りたい」とお話したら、「じゃあうちの会社に来いよ」とお誘いいただいたため、2001年に札幌へ戻ってきて転職しました。

その会社では6年ほど働いた後、ある会社の社内システムエンジニアの仕事に転職をしました。

その会社では7年ほど働きました。

その会社にいたときに、「自分で何かをしたい」という思いができてきました。

そこの会社では、社長直轄の新規事業を考える部署で社内SEをしていました。

そこでは、自分で作ったシステムを企業へ提案をして受注をする仕事をしていたんです。

もともと「いつか自分で何かをやりたい」という思いがあったのが、その時の仕事の経験により「自分でやりたい」が「自分でやろう」と変わったんです。

 

 

 

2.独立、起業

 

「自分でやろう」決めた時に、以前東京から札幌へ帰ってくるきっかけを作っていただいた方へ「独立したいんです」とお話ししました。

そうするとその方が、あるシステム会社への常駐の仕事を紹介してくださり、1プログラマーとしてシステムの開発に参画できることになりました。

 

それで、2014年にスパッと仕事をやめて、フリーランスのSEとなりました。

 

常駐の仕事で1人月の単価をいただき、まずは食べていくことができました。

 

フリーランスで仕事をするようになってからは、事業の領域を広げるためにも「もっと人を増やしたい」と思うようになりました。

また、人を増やすと同時に、事業として会社と取引をするには株式会社でないと取引していただけないことを知りました。

また、個人事業主のままでは、取引もそうですが、世間からの社会的信用も得にくいことがわかりました。

普通企業は、システムの開発をフリーランスの個人事業主になかなか発注しないですよね。

私自身も逆の立場なら、フリーランスの個人事業主にシステムの開発は発注しないですから(笑。

また、従業員を雇用するときに従業員からの目線で考えた時、個人事業主のもとで働くよりも株式会社で働く、ということになれば少しでも安定を感じてもらえるのではないかと思いました。

 

一方、当時私は常駐でシステム開発の仕事をしていましたから、そのままでは法人化して人を増やしていくことができません。

法人化をするにあたり、それまで常駐で開発していた会社と交渉をして、まずはその現場を抜けさせていただくことにしました。

現場を抜けるということは、私の1人工でいただいていた売上がなくなります。

かなりのリスクがありました。

しかし、そのままでは単に自分一人が客先に常駐して1人工の仕事しかできません。

事業を拡大するために思い切って現場を出て、営業活動に舵を切りました。

その背景には、今や全国的にIT人材が不足している状況がありますから、何とかなるだろう、という思いがあったのも事実です。

根拠のない自信がありました(笑。

 

IT技術者が世の中で不足していたので、万が一の時には自分がまたどこかへ入って請負でシステム開発をすればよい、と考えました。

 

 

 

 

3.法人化

 

そういったことから2016年4月、まずは法人化しました。

 

するとすぐに以前からの知り合いの方から、常駐でのシステム開発の案件をいただきました。

すぐに求人雑誌に求人を掲載したところ、一人目で本当に良い技術者が応募してきてくれました。

当時はまだ事務所がありませんでしたし、私自身もまだ常駐のシステム開発の仕事を完全に抜け切れていなかったため、半分常駐の仕事をしていました。

その応募者もまだ会社で働いている人でしたから、お互い仕事が終わった後に、札幌ファクトリーの宮越屋珈琲の前で待ち合わせをして、宮越屋珈琲で何度かお話をしてから正式に入社してくれることになりました。

4月に法人化をしてから、5月には採用して、お客様のもとへ配置することができました。

技術者派遣です。

その会社の中で、いまでもその従業員は仕事をしてくれています。

 

これで法人としてしっかりと仕事を受注することができたのも、私自身が技術者でシステム開発をすることができたからこそ信頼いただいたのだと思います。

本当に「手に職を持っていて良かった」と思いました。

 

事務所はまさに「我が城」といった雰囲気のとても快適な空間を作り上げている

 

 

4.挑戦

 

そこからは様々なことに挑戦しました。

 

VR(バーチャルリアリティー)の開発をしたり、企業から短期の開発の仕事を受託したり、IoTの基盤構築などを請け負ったりしました。

そしてこの間に、従業員が私を除いて4人まで増えました。

 

4人の従業員は主にお客様先での常駐の技術者派遣です。

 

私は、先ほどお話ししたVRの開発や、ある企業の基幹システムの保守運用を請け負っていますのでその仕事などをしています。

もともとは他社が開発したシステムですが、その会社が保守をやめたいということになり、私が保守を引き継ぐことになりました。

そのシステムのコンピューター言語が私が得意とする言語でもあり、データベースが私が得意とするSQLであったことから、ある程度スムーズに引き継ぐことができました。

 

 

 

5.Q.法人化して大変だったことはありましたか

 

技術者を採用してお客様のもとへ配置したら、その従業員がすぐに辞めてしまったことがありました。

その時はお客様にご迷惑をおかけしてしまいました。

そのことについては本当に申し訳なく思っています。

それ以外では幸い「これはまずい!」というようなことは無かったです。

 

起業して一番大変なことというのは「お金」のことだと思うんですが、当社は今まで「お金が回らない」という事態になったことがないんです。

はじめの2年は自分で常駐して仕事をしました。

その後、従業員を雇用して技術者派遣をしました。

そして一人ずつゆっくり着実に増やしていったんです。

また、先ほどもお話ししたように、私自身も保守の仕事やスポット的な仕事で売上・利益を上げてきましたから、お金がしっかりと回っていたんです。

 

請負業や派遣というのは、月末で締めてから、翌月の月中で先に従業員の給料を支払い、その月末に前月分の入金があります。

このタイムラグを知っていましたから、フリーランスの時期にしっかりと運転資金の貯えをしておいたんです。

また、自分自身が売上・利益を上げていたことも大きかったんです。

先に給料を支払って、後からその給料分の売上が入金になる、というタイムラグも、借り入れをせずとも資金をなんとか回していくことができたんだと思います。

 

ただし、今後の事業のことを考えた時、いつか大きな仕事をやることになった時に、今以上の運転資金が必要となることが発生するかもしれません。

いざというときに、借り入れの実績がない当社が、突然金融機関から借り入れをしようとしてもなかなか難しい可能性があります。

そこで、実績作りの観点から、今現在は必要はないのですが、本当に少額の借入をしてあります。

これをしっかりと返済しておくことによって、金融機関の信頼を得ておけば、いざ大きな案件をやる、となったときに必要な借入をできるようにしておくためです。

 

お金の面では、常に「まずい」という状態にならないようにこれまで考えて経営してきました。

それは初めにお話しした、父が卸売りの商店を経営していたのを子供のころから見ていたことも影響しています。

父が事業を経営して苦労をしている姿を、身近で常にみていたことが勉強になっていました。

私自身は、大変な思いをしないように常に考えて、お金を計算して、堅実に事業を進めることに主眼を置いて経営してきました。

それによって、お金の面で苦労をせずに、また、苦労しないようにしてこれたのだと思います。

 

「身の丈」です。

 

もし事業が厳しくなるようなことがあれば、いつでも自分でまた、常駐の仕事をすればある程度の月額の売上ができますから、今の規模であればそれで十分に会社は潤います。

何かあればいつでもそうするつもりでいる、という心づもりができています。

 

インタビューに応える納口社長

 

 

6.起業の理由

 

会社に所属をして仕事をしていると、自分がやりたいことがあって提案しても、会社としては「リスクがあるからダメ」となってしまうケースが多々発生します。

確かにそれらのことは、私が今この立場(社長)になれば理解できるところがあるのも事実です。

更に、組織に所属していると、どうしても合わない人、と一緒に仕事をしなければならない場面も出てきます。

 

それであれば、「人に使われるのではなく自分で好きなようにやりたい」と考えるようになり、「起業するしかない」となったわけです。

 

起業する何年も前からもんもんとそのような考えを持つようになりました。

40歳を目前にしたところで、独立のリミットのような感覚を持ち、思い切ってやろう、となったわけです。

 

人生一度きりですから、自分でこのままやりたいことを我慢して、年を取ってから悔いるのも嫌でしたし、やってだめなら諦めもつくだろう、とも考えました。

また、父も独立して起業していました。

その血を引いているのかもしれません。

 

とにかくチャレンジしてみよう、と考えたんです。

 

 

つづく