18 杉岡 勝恵 氏 第1章 美容師 【ヘアーメイク リューム 代表】

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杉岡 勝恵 氏


hair make llum

【ヘアーメイクリュー】

代表

HP:https://hair-make-llum.net/

ブログ:https://ameblo.jp/llumdelsol8888/entrylist.html

略歴
2016年 hair make llum 【ヘアーメイクリューム】 開店


「なぜこれほどまでに」と思えるほどの苦境が次々に杉岡さんに降りかかります。

どんな状況でも「上を見て」進み続けた先には、、、、

説明は必要ありません。ぜひお読みください。


1.美容師を目指して

 

 

美容師になろうと思ったのは、中学生の時のバスケ部での時のことがきっかけでした。

試合に出る後輩たち全員の髪を願掛けの意味も込めて、同じ色のゴムを私が自分で買ってきて、同じおさげに結って縛って、みんな一緒の髪型にしてあげた時のことでした。

試合が激しいので、全員同じ形にしてスプレーで固めてあげました。

試合中も髪型を気にしなくていいようにしてあげたんです。

それをやっているのを見た友達が「そんな面倒くさいことよくやってあげられるね」と言うんです。

でも私は「え、面白いよ」と言ったんです。

そしたらその友達が「あー、好きだからなんだね」と言ってくれたことがきっかけとなって、自分が好きなことに少し気付いた感じでした。

「私、美容師をやりたいのかな」と漠然と思ったんです。

 

あとは父が大工だったので、手に職をつける方法で高校を卒業した後の進学先を選べば行かせてくれるんじゃないか、とも思っていました。

 

でも実際に高校を卒業する時に父は私にはすぐに就職してほしい、と思っていたようで私が専門学校へ行くことには反対だったんです。

中標津町(北海道)で生まれ育ちましたから、美容師の専門学校へ行くには札幌に出なければなりません。

結局、母だけが私が専門学校へ行くことを応援してくれました。

 

でもそれがあったからこそ根性をだして専門学校では一所懸命勉強したんだと思います。

 

父の反対を振り切って専門学校へ行っているわけですから、何があっても負けずにしっかり資格を取ろう、と考えました。

 

hair make llum【ヘアーメイクリューム】の店内カウンター

 

 

2.自分に厳しく

 

 

専門学校生って18歳から20歳までです。

その歳で中標津町から都会の札幌に出ると、普通は浮ついた気持になります。

でも、先ほどお話しした状況で学校に行く以上「甘えてはいけない」と思いました。

 

自分で寮を探しました。

寮での食事が出ない時に食事にかけるお金を1食300円と見積もって、寮の費用を足して1か月分の本当に最低限の必要な金額だけを計算しました。

母にお願いしてその金額を仕送りをしてもらうことにしました。

 

高校を卒業するときに初めて携帯電話を持つことになりました。

そのために高校生3年生のときにアルバイトをしました。

アルバイトで貯めたお金を全部貯金して、そこから専門学校2年間の携帯電話の料金を支払っていきました。

 

自分で選んだ寮は、あえて門限が厳しい当時の専門学校の専用の寮を選びました。

そのように専門学校に行くにあたっては全ての甘えを取り除いて、「やるぞ!」という気持ちで専門学校に臨んだんです。

寮でも真面目に生活していたら、2年生の時には寮長に指名されました。

 

学校での勉強も、寮での生活も、常に自分に厳しさを課して行動していました。

 

得意なことと不得意なことがある美容師になってしまわないようにと考え、専門学校の時には着付けの資格も取得しました。

着付けの資格は通常受ける授業以外に自分で別にお金を支払って学ばなければならなかったんです。

その時も母が支援してくれて、その資格を取得することができました。

 

寮の規律はとてもとても厳しいものでした。

そのおかげで、寮では「人として」一人前になることを学びました。

そういった環境でしたので、専門学校生のときは卒業すること自体が大きな目標となっていました。

「卒業する」という事以外には考えることができない状態でした。

ましてやその頃は、「いつか自分でお店を出したい」なんて考える余裕は全くありませんでした。

 

先ほどお話しした「常に自分に厳しさを課す」という考え方は、その後の専門学校を卒業してからの進路にも影響していきました。

就職先にも、例えば賞をたくさん取っているお店や華やかなお店を選ばず、何十年も続いている老舗の美容室を選びました。

そのお店ではウエディングの仕事もしていたので、着付けの仕事もできるお店だったからです。

 

着付けの資格も持っていたので、実際に着付けの経験も積むためにも老舗の美容室に就職したんです。

 

 

ヘアーメイクリューム

 

 

3.就職してから

 

 

2003年3月に専門学校を卒業して、4月から就職して働き始めました。

 

アシスタントとして働き始めた時に、先輩たち全員の仕事の仕方がそれぞれ全然違うので、それぞれの先輩のやり方に合わせて動かなければなりませんでした。

そのように仕事をしていると「自分だったらこうするのにな」と考えるようになっていきました。

その時は、それぞれ全然違うやり方をする先輩たちにうまく合わせれずに悔しい思いもたくさんしました。

その時に初めて「いつか自分で店をもちたい」少し考えるようになりました。

 

もともと勝ち気な性格だったこともあり、そんななかでも

「一人でやれるようになるまでは絶対に負けない」

と思って頑張っていました。

 

そんなことを考えて仕事をしているうちに、そのお店の経営状態が悪くなっていきました。

私はそのお店を辞めざるをえない状況となり、就職して1年2か月が過ぎた2004年6月にそのお店を退職しました。

 

その後、そのお店は閉店してしまいました。

 

専門学校を卒業する時に、就職したその老舗のお店以外に私に声をかけてくれていたもう一つ別のお店がありました。

その時には老舗のお店に就職したんですが、その時お店の方からは「今後なにかあったら遠慮なく連絡してきてほしい」と言われていたんです。

 

老舗のお店を辞めることになった時にそのお店にご連絡をしたら、すぐに面接をしてくださって働かせていただけることになりました。

 

2004年6月中旬に退職をして、7月から働かせていただけることになりました。

 

 

 

 

 

4.厳しい環境の中で更に、、

 

 

新しく働いたお店では、前のお店と違い、仕事の方法が完全に統一されていました。

 

また、そのお店の社長が考える、お客様への思いや提供する技術の考え方も素晴らしいものがありました。

私自身も突然仕事を失ったときに助けていただきましたし、恩を感じていました。

私はその社長のことをとても尊敬し「この人についていこう」と思っていました。

本当に特別なことでもない限り絶対に辞めない、と決めて仕事を始めました。

 

社長は私の技術を買ってくれていて、私を伸ばしてくれました。

ところが実際に働き始めてみると、先輩が2人いたんですが、性格が合わなかったんです。

私を押さえつけようとするというか、、、

今でいう「いじめ」のようなことをされていました。

何年か働いてから社長にそのことを伝えても、とりあってはくれませんでした。

そのうち2人の先輩のうち1人がご都合で退職されたんですが、1人が残っても同じような状態は続きました。

ずっとその状況を我慢して、自分を出さずに仕事を続けるようになっていました。

 

そんな中、そのお店に入って3年と少しが経った2007年12月に実家で父が他界しました。

 

すぐに地元へ帰って葬儀などを済ませて、あまりお店を空けることができないので悲しい状態のまま急いで札幌へ戻ってきてお店に出ました。

開店前にお店の皆さんに「この度は私の都合で休暇をいただいてすみませんでした」と言ったとたんに涙があふれてきて、ワッと泣き出してしまいました。

 

接客のお仕事なのに、笑顔なんて到底作れる状態ではありません。

 

そのお店ではお客様皆さんが、なぜかいつも私のことを気にかけてくださっていて「今日は元気がないわね」とか「最近は元気?」などといつも声をかけてくださるんです。

 

なので社長が、お客様に心配をさせてはいけないとの判断から「お前は今日から何日かはお店に出なくていいから裏で仕事をしていてくれ」と言われました。

 

それで無理やり笑顔を作る必要がなくなったので、とても助かりました。

 

ただ、私を指名してくださるお客様だけは対応させていただきました。

それ以外のお客様へはヘルプには入らずに数日を過ごすことで、徐々に回復していきました。

 

その後、お店での仕事も完全に復帰はしたものの、2年くらいは精神的にもきつい状態で仕事をしていました。

家族を亡くすというのは本当に辛いことだと思いました。

 

ヘアーメイクリューム

 

 

5.自信を失い

 

 

そのお店の価格は札幌の一般的な価格帯の倍ほどの価格でした。

ですので、たくさんのお客様に来ていただけるようなお店ではありませんでした。

 

髪の毛に対して強い思いをもったお客様ですとか、それなりの収入がある層のお客様が中心のお店だったので、お客様として来ていただけるのは一握りの方々だったんです。

 

そのお店で6年ほど働いたときに、そういった層のお客様に対して自分がしっかりしたサービスを提供できるようになるのはいったいいつになるんだろう、と考え始めました。

そういった層のお客様に対して、「自分はまともな接客もできていない」と自信を無くしていきました。

 

そういう状態が続いたときに、「このままこの仕事をしていても私はこれ以上伸びていけないな」と感じ始めました。

 

今思えば、自分が前面に出ていけないのは自分に責任があったんです。

 

でも、そのころの自分はまだまだ未熟で、前面に出ていけない自分を人のせいにしていたんです。

私自身のお客様もいたんですが、これ以上自分のお客様を増やしたくない、と考えるようになっていました。

先輩や社長など、お店の中でいろいろな人に気を使いながら、高額な料金を支払ってくださる自分のお客様に良い仕事を提供できる自信がなかったんです。

 

それでも社長に対しては、料金面や技術の考え方など相変わらず尊敬する面ばかりでした。

常にとても勉強している社長でしたので、そういう社長を見ているうちにどんどん自信がなくなっていきました。

 

その社長はよく「この世の中、お金なんか誰も貸してくれない」と言っていました。

その尊敬する社長がお金を借りれないなら、私など借りれるはずがない、と思いました。

「私なんかがいつか一人でお店を出せるはずなんかない」と考えていくようになりました。

最終的にはそのお店で働いているうちに、「もう自分でお店を出すなんて無理だ」となりました。

 

先輩からいやなことをされ続け、社長に訴えても取り合ってくださらなくて、仕事の自信も失い、目標だったお店を出すことも難しい、、、、

 

そこにきて体の不調がずっと続くようになっていました。

 

腰痛に悩まされて、歩けなくなることも何度もありました。

 

 

 

6.限界

 

 

「私は美容が嫌いなんだ」とさえ思い始めました。

 

その頃、年齢も30歳の手前でした。

「お店を出せないならいつか結婚して辞めようか」とか「美容師を辞めて全然違う職種で働こうか」とか考えることが多くなりました。

 

 

そのお店では、年に一度9日間の長期休暇をいただけるので、自分の中の何かを変えたいと思いその休暇で一人でバルセロナ旅行に行くことにしました。

 

当時の私は何事も、石橋をたたいて渡る性格でした。

やったことがないことにあまりチャレンジできる性格ではなかったんです。

 

バルセロナ旅行に行くために1年かけてお金も貯めて、旅先で行くところも自分で調べました。

 

留学経験がある友達に海外のことを色々教えてもらいました。

 

2012年10月、1年かけていろいろ準備して、1人でバルセロナ旅行に行ってきました。

 

 

バルセロナ旅行で訪ねた風景1

 

 

慎重な性格の私が、行く前はあれほど怖がっていたバルセロナ旅行も、いざやってみるとあっけなくできてしまったんです。

 

旅行から帰ってきた時

「私、なんで今までこんなにずっと我慢して、身も心もボロボロになって。私、なにやってるんだろう?何年間も何を我慢してきたんだろう?」

って思いました。

 

 

そこで何かがプツっと切れました。

 

 

だれにも気を使わなくなりました。

 

これを言ったら誰かが怒らないだろうか、とか、がっかりしないだろうか、というように常に周りに気を使って物事を考えることをやめよう、と思ったんです。

 

次の仕事も決まっていない状態で、突然お店を辞めることにして社長に言いました。

 

 

「もう無理です」

 

 

すぐに辞めました。

 

バルセロナに一人で行けたんだから、なんでもどうにかなるわ、と思ったんです。

 

そのお店では9年弱ほど働きました。

 

そのお店の社長の奥様は、私が入店した時から「いじめ」のことを知っていました。

 

それでも「私へこたれませんから」と言って頑張っていたのを見て、奥様が陰ながら応援してくれていたんです。

頑張っていたというよりも「必死」でやっていたんですけどね。

 

奥様は食事に誘ってくださったり、いつも気にかけてくださっていました。

 

その奥様が私が辞める時に「9年もの間つらい思いをさせてごめんね」、と言って退職金を工面してくださったんです。

 

そうして2012年12月末でお店を退職しました。

 

 

バルセロナ旅行にて訪ねた風景2

 

 

 

7.心身の休養

 

 

退職を決めたら全てを心機一転しようと、引越しすることにしました。

 

無職の状態だと引越しをできないので、まだお店に籍がある状態の時に引越し先を急いで決めて引越ししました。

 

そういったときにも奥様は協力してくださいました。

 

残った有給休暇を使わせていただいて、奥様のご協力で引越しができました。

 

そして新しい住まいで次何をするかをゆっくり考えよう、ということにしました。

 

そのころ腰痛もひどかったので、仕事の復帰を考えることができる状態でもなかったんです。

 

ハローワークに通いながら、美容とは違う仕事を探したりしていました。

 

自分で想像してみるんです。

事務の仕事をしている自分のこととか、新たに資格を取って働いている自分のこととか。

リクルートスーツを着て就職活動をしている自分とかを考えるんですけど、全然想像がつかないんです。

 

前のお店の私のお客様はもうほとんど手放してしまっていました。

でも、もし何かあった時のために本当に懇意にしていただいていた数名のお客様だけ連絡先を交換していました。

 

その中でも「ずっと杉岡さんに切ってもらっているから、子供の髪も切ってもらいたいと思ってる」と言ってくださっていたお客様が、辞めた後も家に呼んでくださってごはんまでご馳走してくださって髪を切らせていただきました。

 

そうして髪を切っていると「やっぱり楽しいな」と思うんです(笑。

 

そんな日々を過ごしながら、お店を辞めてから2か月は何もしませんでした。

 

友達と飲みに行ったり、先ほどのお客様のように友達の家で髪を切ってご飯をご馳走になったり、というような生活をしていました。

 

そうしているうちに心身ともに力が抜けていきました。

 

 

そんなある日、夜寝ているときに突然就職活動のことを思いつき「リクルートスーツ着なきゃ!」と思い立ちました。

突然夜中に一人で起き上がって冠婚葬祭用のスーツを着て鏡で見て、「やっぱダメだ~」となって、、、というのを夜な夜な2時か3時にやっていたこともありました(笑。

 

そうやって夜中にスーツを着て、鏡で見て「ダメだ~」となって、スーツを脱いでまた寝た時にある日、パッと頭の中に映像が浮かんだんです。

 

自分が美容師として立って仕事をしている映像だったんです。

 

その映像を見たときに「美容師の方が楽しいな」と思いました。

 

当時は腰も痛めていたので、2時間も座っていると辛かったんです。

 

「デスクワークだとずっと座っていなきゃならないしやっぱり無理だよな。でも立ってやる仕事だと辛くなったら座ればいいしポジションチェンジできるからまだ楽だよな」

と思いました。

 

そうすると

「やっぱり私は美容師の仕事だよな、やっていて楽しいし」

と思ったんです。

 

そうなると、とりあえず自分を拾ってくれるお店を探そう!となりました。

ハローワークに行って美容室のお店を探すことにしました。

 

そうしたらハローワークの方が

「美容師復帰するんですか?」

とすごく心配してくださるんです。

 

「美容師やっていて辞められた方で、美容師復帰した方はほとんどいませんよ」

とおっしゃるんです。

 

そこで初めて、美容師になって心身ともに折れてしまって辞めた子は、もう絶対に復帰しない、というところまでいく子が多いんだということを知ったんです。

ハローワークの方は沢山のそういった子を見てきているんです。

 

でもその時に、「私は大丈夫」と思えたんです。

 

「いえ、復帰したいんです」

 

とお伝えして、美容師の復帰を目指すことにしました。

 

 

 

8.美容師復帰に向けて

 

 

先ほどお話ししたように、2012年の12月で退職をして、2013年の1月と2月の2か月間はゆっくり休みました。

 

そして3月~5月の3か月間本格的に美容師の就職活動をしました。

30歳の時です。

 

ハローワークを通して美容室の面接に行きました。

でも、面接の結果、いくつものお店からお断りのご連絡をいただきました。

ハローワークを通しての面接の結果は、ハローワークの担当者に連絡が入ります。

でもそのお断りの内容が

「杉岡さんの考え方ややり方はお店としては正直欲しい。でも、お店のリーダーが20代後半なのでバランスが崩れてしまう」

と、丁寧なお断りのお電話だったらしいんです。

 

ハローワークの担当者の方も

「こんなに丁寧にお断りの電話があることはあまりないです。杉岡さんのこれまで頑張ってきた仕事で身に着けてきた知識と技術はすごいことなんだと思います。だからこれからも就職活動頑張りましょうね」

と言ってくださったんです。

 

それを聞いて私も30歳にはなっていましたけど「まだまだいける!」と思えたんです。

 

そこから更に3,4店舗受けました。

「その歳ならお客様を連れてきてくれないと、、、」

とお断りされてしまいました。

 

私は前職のお客様はほとんど手放してしまって、一からのスタートですから厳しい就職活動でした。

 

 

第2章へつづく

 

バルセロナ旅行で訪ねた風景3