18 杉岡 勝恵 氏 第2章 美容師 【ヘアーメイク リューム 代表】

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杉岡 勝恵 氏


hair make llum

【ヘアーメイクリュー】

代表

HP:https://hair-make-llum.net/

ブログ:https://ameblo.jp/llumdelsol8888/entrylist.html

略歴
2016年 hair make llum 【ヘアーメイクリューム】 開店


 

 

9.美容師に復帰

 

 

半ば諦め始めたころ、2013年6月中旬にようやく美容師としての就職が決まりました。

そして7月に働き始めることになりました。

 

そこは店長1人と美容師さんが2人のお店でした。

私が入って4人体制になりました。

 

「こんな私を拾ってくださって、おかげで美容師にも復帰できます。本当にありがとうございます」

という状態でした。

 

数少ない私の数人のお客様にも

「復活しました!」

って連絡をしたら、皆様からも

「待ってました~!」

って言っていただいて、最高の気分でした。

 

私、お客様の髪を乾かすだけでもテンション上がっていて

「やっと復活できた~!」

という感じで働いていました。

 

 

ヘアーメイクリューム

 

 

10.まさかの展開

 

 

でもそのうちに「このお店は危険なにおいがする」と感じがしてきました。

 

10年以上美容師として働いてきたので何かを感じるんだと思います。

 

働いている人たちはみなさん凄く感じのいい人たちなんです。

 

でも私のカンが当たって、結局そのお店に入って2か月ほどたった時に、年末でそのお店が閉店することが決まったんです。

 

そのお店の売上を支えている2人の美容師のうち1人が独立し、もう1人の美容師を連れて出る、ということになったんです。

 

店長は売上をあまり持っていませんでした。

 

私は復帰して間もないのでもちろん売上は多くありません。

 

その状態で売上を持っている2人が辞めるわけです。

そのお店の親会社は全く違う業種の会社でした。

美容室部門はそのお店1店舗だけですから、そういう状況になったらお店を閉める、というのは当然の判断です。

 

その話を聞いたとき、私は2、3日間大泣きしました。

 

「やっと就職できてテンションも上がってたのに、年に2回も就職活動をしなきゃならないなんて!!なんで!?」

っていう感じです(笑。

 

そのお店に就職をしたのが7月ですが、10月からまた就職活動を始めました。

 

ヘアーメイクリュームの店内

 

 

11.別なお店で働き始めて今度は

 

 

またありとあらゆるお店の面接を受けました。

 

そうすると1店、札幌の大通りエリアにあるお店に受かることができました。

 

そのお店は猫の手も借りたいほど忙しい状況のお店だったんです。

 

私は、1人のお客様をお迎えしてしっかりサービスしてお送りしてから次のお客様をお迎えする、というやり方を希望して面接のときにも確認していました。

 

面接してくださった方は「わかりました。大丈夫です」とおっしゃるのでそのお店に決めました。

 

2014年の1月3日から新しいお店で働き始めました。

 

でも実際に入店してみると、工場のように次から次へお客様を対応しなければならないお店でした。

 

1人のお客様にサービスしている最中にそのお客様を一度お待たせして、別のお客様も担当して、というような状態でした。

完全に人手不足なんです。

私のことを見ていたお客様からも「馬車馬のようだね!」と言われました(笑。

 

入店してすぐに「こんなやり方でお客様に対応していたら必ずまたダメになるな」と思いました。

 

考える暇もないくらい忙しいお店で、また心が折れそうになりました(笑。

 

「なんで私はこうやって同じ状況を繰り返すことになるんだろう?」と思いました。

 

そのお店で半年ほど経ったところで、ずっと私のところに来てくださっている数人のお客様たちが皆さん私に気を使ってくださるようになっていきました。

私のことを見ていて気の毒になるらしいんです。

お客様が「いいわよ私自分で乾かすからドライヤー貸して」とか言ってくださる方とかが増えてきました。

 

お客様にこんな思いをさせてしまって、私美容師やっているって言えるんだろうか?と思いはじめました。

でもまたここでお店を辞めて他のお店に行くってなったら、またお客様を困らせることになってしまう。

でもこのお店でやり続けても、お客様に私に気を使わせてしまいご迷惑をかけ続けることになる。

 

にっちもさっちもいかない状態です。

 

 

「私は自分で思うような美容室をやったほうが良いんじゃないか」

「ある程度の人数、私にお客様が付いてくださるまでがんばろう」

と考え始めました。

 

でも、以前のお店の社長が言っていた「お金なんか誰も貸してくれない」という言葉や多くの美容室の厳しい経営を見てきた経験から、現実的に、金銭的なことなどいろいろ考えると怖くなりました。

なので、いつかお店を自分でやりたい、とは誰にも言いませんでした。

口にしてしまうと、それが現実になってしまうようで怖すぎました。

 

心の中だけで「独立するってどういうことかわかってるのか自分」と自分にも何度も問いただしました。

 

何か月もの間、ずっと自分の中での自問自答が始まりました。

 

 

ヘアーメイクリューム

 

 

12.決心

 

 

そのお店にずっと来てくださっているお客様で、いつも誰も指名しないお客様がいらっしゃいました。

そのお客様は私より歳下だったんですが、私がついたときに次から私を指名してくださるようになったんです。

 

そのお客様が、独立の自問自答を始めた頃のある日、突然

 

「勝恵ちゃん(私)、独立しないの?」

 

と私に聞いてきたんです。

 

その時は私は独立をできない理由を並べたてました。

まだ独立を口にするのが怖かったからです。

 

そして、「だから私なんてまだまだ無理ですよ」と言いました。

そうしたらそのお客様は「ふーん。そうなんだ~」とそっけないお返事だったんです。

 

 

それから1年程経った時に、そのお客様はまた同じように

 

「勝恵ちゃん、独立しないの?」

 

って聞くんです。

 

なんでこのお客様は記憶力が悪いわけじゃないのに、こんなにシラッと同じことをさも初めて聞くかのように聞くんだろう?と思いました。

 

その時は、私が独立を考え始めて1年程が経過したときでした。

 

1年間、自問自答を繰り返して、少し独立のことを意識していた時期でもあり

 

「初めて自分以外の人に言うんですけど、実は心の中に独立したいっていう気持ちが少しあります」

 

って言ったんです。

 

そしたらそのお客様は即座に

「うん。でも勝恵ちゃん今年はやめたほうがいいよ」

って言うんです。

 

そして

「来年だったらいいよ」

って言うんです。

 

そのお客様は、霊感的にいろいろ見える人というのはお話をして知っていました。

 

私自身もその時は

 

「今年はまだ(お客様もついていないし)絶対に無理だろう」

 

と思っていたので、逆にそのお客様にそう言われて

 

「来年ならイケるのか!」

 

と思いました。

 

 

その時「来年独立しよう!」と決めました。

 

 

 

 

13.一気に

 

 

そこからが早かったです。

 

前の日と別人なほど自分が変わりました。

 

気持ちを決めてしまってからは

 

「私は自分でお店をやりたいんだ!」

 

と思いました。

 

「やる!」と決めていろいろ想像をしたら「こんなに気分も上がって!すごい!」と。

 

 

「これは絶対やるしかないわ!」

 

に変わりました(笑。

 

もう、気分が俄然やる気になってしまいました。

 

「楽しいじゃん!もうダメもとだ!」

と吹っ切れて、それからは、それまで消極的だった接客も

「お客様に自分だけに向いて頂けるよう力を尽くした接客をしなきゃ!」

と考えるようになりました。

 

それまでは、お店のやり方や流れに対して心の中で文句を言ってケチをつけていたんです。

 

「こんなお店のやり方じゃ、お客様に満足いただけないよ!」

と思っていたんです。

 

でも、考え方を変えると、お店の流れに関係なく、自分で良いサービスをできることなんかいくらでもあることにようやく気付いたんです。

 

更に、空いた時間があればインターネットで独立について鬼のように調べました。

 

「心を決めればどうにか道は開けるはずだ!」

 

と思い、時間があれば色々と調べました。

 

お金の工面の仕方や、独立に関すること、とにかく色々と調べてメモをして、準備を始めました。

 

自分が買える範囲で独立のための本も沢山買って勉強しました。

 

そうしているうちに「私にも何とかできるかもしれない」と思い始めました。

 

開業するには開業資金が必要で、自己資金も必要なことが分かりました。

その時の私の貯金では足りないことが分かったので、すぐに行動に移しました。

 

美容師として働く他にアルバイトを始めることにしました。

 

何日もかけて計算しました。

 

アルバイトをするなら1日何時間働いて、何か月で何十万円貯める、と。

 

手あたり次第アルバイトを受けまくりました。

 

でもアルバイトとはいえ面接で

「事業資金を貯めたいです!」

と言ったら受からないんです(笑。

 

ラーメン屋さんもバーも沢山受けたんですが落ち続けました(笑。

 

「なんだ!こんなに真剣な気持ちを誰も受け止めてくれないのか!」

 

と思いました。

 

自分で事業をしたい気持ちを熱く話したら絶対入れてくれる!と思っていたのに(笑。

 

私何枚履歴書書いてるんだろう?と思いながら、バイトに落ち続けていたらだんだん嫌になってきました(笑。

 

友達に

「私こんなに真剣に思っているのに全然合格しないんだよね」

って言ったら、その友達から

「そのまっすぐな気持ちはわかるけど、バイトとはいえすぐ辞めるような人はやっぱり駄目なんじゃない!?」

って言われました(笑。

 

「あ、そっか?!」と思いました(笑。

 

逆に今まで受けてきたところに申し訳なかったな、と思いました(笑。

 

履歴書の「志望動機」の内容を変えて、できたばかりでデザインもきれいな餃子のお店を受けに行ったら、すぐに合格しました(笑。

 

 

 

 

14.自己資金を貯めて

 

 

2015年の10月から、日中は美容師の仕事をして、夜の飲食店でのバイトを始めました。

 

本業の美容師の仕事を疎かにしては本末転倒だと思い、眠かろうが疲れていようが昼間は真剣に美容師の仕事にあたりました。

 

カフェインをとったり、栄養ドリンクを飲んだりして、自分をギンギンにして仕事にあたりました。

 

夜の飲食店での仕事は夜9時か10時から深夜の2時か2時半までです。

週に3~4日飲食店でのバイトをしました。

 

自分で立てた計画で、2015年10月~2016年5月末までで自己資金を〇十万円貯める、という計画でしたので8か月間バイトをしました。

 

私の計画通りの金額を貯めることはできました。

 

 

 

アルバイト最後の夜のまかない。粋な店主がビールをつけて料理も大盛にしてくれました。

 

 

15.無題

 

 

バイトを辞める少し前の2016年5月に母に病気が見つかりました。

 

そして6月には検査で病気がガンであることが分かりました。

 

母には心配をかけないため、もともと独立することもバイトをしていることも言っていませんでした。

母は薄々気付いてはいたようですが、私は一言も言っていませんでした。

でも母の近くに住んでいる姉から「母さん気付いているよ」と言われました。

 

母が姉に

 

「なんで娘が独立のために頑張っているこの時に私が病気に、、、」

 

って言っているっていうんです。

 

 

もう、そのころの記憶が、、、、、

 

 

私も当時はもうろうとしていたので記憶があまりないんです、、、、、

 

 

(ここから杉岡さんは涙を堪えられず、でも話を続けてくださいました)

 

 

母がそんな状況の中、仕事もしなければならないし、

もう開業の準備が始めっていましたから、いろいろ調べなければならないし、、、、、

 

工事の業者さんや仕入れの業者さんとも打ち合わせを始めていたので、、、、、

 

母がそんな状況なのに私の中には「諦める」という選択肢がなくて、

ただただ前進するだけ、という状況でした。。。。

 

 

 

~インタビューをしばらく中断~

 

 

 

(涙が止まらないまま、本人の意志により話を開始してくださいました)

 

 

 

父が亡くなった時に2年ほど精神的に引きずったんですが、その経験があったから強くなっていたのかもしれません。

 

母のことで地元へ戻るときは移動中もずっと泣いていたりしました。

でも、お客様の接客をする時には完全に切り替えて笑顔で接客し仕事もすることができていました。

 

 

資金を借り入れるための金融機関との面接日の3日前に母が危篤状態になりました。

 

 

 

業者さんに電話をして相談したら

「金融機関には事情を話せばわかってくれるから。

とにかく金融機関に電話をして、事情を話しましょう。

そして落ち着いてから面接を受ければいい」

と言ってくださったんです。

 

すぐに金融機関へ電話をして面接日を延期してもらいました。

 

そして働いていたお店のオーナーに話しをして、すぐに母が入院している釧路の病院に向かいました。

 

 

 

母は2日間目が覚めない状態で、亡くなる直前目を覚ましましたが、

会話ができる状態ではなく、亡くなってしまいました。

 

 

 

 

 

その時はずっと気が張っていました。

 

気を緩めたら心が折れるような気がしていたからです。

 

父は2007年に他界していたので、唯一の肉親の姉と二人でその後の色々なことを進めていきました。

その間にも、自分では金融機関での面接のための事業計画の説明などの練習をしていました。

 

お葬式を終えたんですが、初七日がたたない前にお店から

 

「すぐ帰ってこい。そこまで休みはやれないから」

 

と電話で言われて、札幌に戻ってきました。

 

お店に出ると、休む暇もないスケジュールでお客様を詰められていました。

 

母も亡くして、当然、葬儀、お通夜と寝ないで数日を過ごしすぐ帰ってきてその状態です。

 

戻ってきてからはいじめのように2日間、休憩もとる暇もなく12時間スケジュールを詰められていました。

そんな2日間の翌日に金融機関との面接でした。

 

 

 

 

16.退職できないかもしれない

 

 

無事に金融機関の面接も終えて、借入ができることも決まり「よかった、、、」となりました。

 

2016年10月に開業する計画でしたので、9月末にお店を辞めるために、3か月前の6月末にはお店側には退職の意向を伝えました。

自分でお店を出す、ということも伝えました。

 

労働基準監督署にも相談して助言をいただき、退職届も提出しました。

 

それでも本当に辞めさせてもらえるかどうか心配でした。

 

お店側が私の退職の意向に対して全く無反応なんです。

 

 

でもお店側と直接話をしたら、このまま働くことになってしまうんじゃないだろうかという不安がずっとありました。

なので退職できるかどうか最後の最後まで本当に不安だったんです。

 

 

お店を辞める前の9月からは今のお店の場所も借りて、内装の工事を始めていました。

 

内装工事中には天井にトラブル発生!仕事が終わってから現場に駆けつけた時の写真

 

 

2016年9月末日で退職をして、10月の上旬で自分のお店をオープンすることに決めていたんです。

 

できるだけ費用を最小限に抑えるために、内装業者さんとは何度も打合せを重ねながら工事を進めてきました。

 

私は昼間まだ仕事をしていますから、毎日のように仕事が終わってから現場に向かって夜12時ころまでお店の準備をしました。

 

内装業者さんにも、その場で「ここをこうしてもらっても良いですか」とお願いしながら進めていきました。

 

そのうち、内装業者さんも私が本当にお店を辞めれるのかを心配してくださるようになっていきました。

 

 

 

17.退職

 

 

9月30日、閉店の1時間前に突然、

「お前今日辞めるんだよな。店の鍵を置いて行けよ」

と言われて、無事にお店を辞めることができました。

 

そしてその日に、あるお客様から長文のメールをいただきました。

 

ここ数か月、私が夜もバイトをしたり、母を亡くしたりして、みるみる痩せていたので、心配をしてくださったお客様でした。

「お店を辞めるのではないかと想像していました。見ていると明らかに何か大変な状況なのに、笑顔でいつも通り接してくれるから何も言えなかった。でもずっと心配をしています」

という内容のとても長文の熱いメールをいただいたんです。

 

そのお店から私の自宅まで歩いて30分ほどの距離です。

 

最後の出勤を終えて、大通公園を歩いているときにそのメールを見て、大通公園のど真ん中で号泣してしまいました。

家に着くまで泣きながら帰りました。

それまでいろいろ張りつめていた思いが、そのお客様からのメールでどーんと一気に出てきた感じです。

(涙)

 

 

自分で自分に「今まで良くやった」という感じでした。

 

ようやくそのお客様にもそのメールの返信で、今のお店を辞めて自分でお店を出せることをお伝えすることができました。

 

第3章へつづく