9 鈴木 慎也 氏 第1章 飲食業【株式会社esエンターテイメント 代表取締役】

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鈴木 慎也 氏


株式会社esエンターテイメント
http://www.es-entertainment.jp/

略歴
2006年7月 創業
2009年1月 法人化

事業内容
飲食店の経営
飲食店の運営企画


 

第1章

 

1.夢に向かって

 

起業を考えた精神的なきっかけは、テレビ番組の「マネーの虎」でした(笑。

 

その番組を見ていて、単純に「社長の人たちって人間力があってカッコいいな」と思ったことでした。

シンプルに「あ、カッコいい」「俺もあっち側の虎になりたいな」って思いました。

あの番組にプレゼンテーターとして出たい、というのではなくて「社長側になりたい」と思ったんです。

 

大学は、当時は心理カウンセラーになろうと思っていたので、心理学部に入りました。

でも実際に大学に入ってみたら、まあ授業がつまらないんです(苦笑。

それであまりにもつまらなすぎる日々を送っていて、夏休みになった時に、高橋歩さんの「毎日が冒険」という本を読んだんです。

 

高橋歩さんが、暇な時に当時ビデオである映画を家で見たら衝撃が走り、その映画を仲の良い友人に見せてみんなで一緒にバーをやっていくっていう話があるんです。

それを読んだとき、目標を見失っていた当時の自分と似ている境遇の話だったので、「これだ!」と思って同じ映画を借りてきて見てみたら、まんまと僕も映画に影響されてしまいました(笑。

 

トム・クルーズ主演の映画「カクテル」です。

その時が「フレアバーテンディング」というものの最初の出会いでした。

高橋歩さんは常に行動、行動、行動の人だったんです。

僕も影響を受けて、「大学が暇だから、自分たちで楽しいことしていこうか」とサークルを作りました。

同じように「つまらない」と言っている人たちを集めて、イベント企画して開催していくっていうことを大学1年生の夏休みからやるようになりました。

そこで初めて自分がリーダーになって、企画を作って人を巻き込んで、周りの人を喜ばせるっていうのを「面白いな!」って感じたんです。

誰か他の人が作ったプラットフォームの中で楽しむのではなくて、自分自身が作り出したベースの中で動くほうが面白いんだな、ってことを知り、自分に自信をもてるきっかけになりました。

イベントをやって、例えば一人3,000円でバーベキューをやったりすると自然と利益が出ていました。

そしてそこで出た利益をまた次のイベントに使う、というやり方をしていたら、どんどん工夫をしていくので効率的に利益が出るようになっていたんです。

そういうやり方をしていたら、そのサークルが凄い人気になっていたんです。

その時「これで大学生活が楽しくなった」と思いました。

 

大学1年生も終わりに近づく3月、人生初の一人旅で1週間沖縄に行きました。

当時サークルを立ち上げて上手く拡大していたので、自分で「俺ってすごいことやっている」と少し粋がっていた時期でした。

行動力もついてきていたし、もっと周りから「凄い」と思われることをしたい、と思って、カッコつけて沖縄一人旅に行ったんです。

帰りは東京から札幌までヒッチハイクで返ってくるような旅です。

沖縄って、当時ドミトリーがだいたい1,000円~1,500円くらいで、みんなで雑魚寝状態で泊まれたんです。

そういうところに行くと、当時の僕のような全国のちょっと変わった人達が集まっているんです。

僕も地元(札幌)だと「行動力もあって面白い奴」だったんですけど、そのドミトリーには、「京都からチャリで来た」とか「稚内からヒッチハイクできた」とかそんな人たちばかりなんです。

「(飛行機なんかできた俺って、ダサい!)」という感じでした。

世の中にはこんなに面白い奴が沢山いるんだから、地元で調子こいてる場合じゃないな、っていう感じになりました。

自分がかかわる人たちの当たり前が変わると自分も変わる、っていう感じでしたね。

自分にとっては、かなりいいきっかけになりました。

 

ただ、そのままもし僕が大学4年間そのままサークルをやり続けたら、調子に乗ってしまい、昨今いろいろ問題になった大学サークルのようになっていたかもしれません(苦笑。

でも良かったのが、その時ウチの家計が崩れたんです。

当時、親父が脱サラして自分で仕事を始めたりしていたんですが、それがうまくいかなくなって、家庭内も険悪な雰囲気になっていきました。

当時僕が受けていた奨学金も家に入れたりしていました。

そうなると学費も払えなくなってしまいます。

そんな状況の中、僕は何をしているかというと、大学にほとんど行かないでサークル活動をしているわけです。

これはさすがに良くない、と思いました。

 

一方で当時、先ほど言った「社長になりたい」という思いと、映画の影響で「バーを持ちたい」というのが合わさり「バーを持って社長になりたい」と思うようになっていました。

そこに高橋歩さんからの影響でサークル活動を通して「行動力」を培っていたところで、最後の後押しで家庭の事情があり、大学生1年生の終わりに大学を辞めることにしました。

 

「バーを持って社長になりたい」という思い、サークル活動で得た行動力、沖縄での経験、家庭の状況があって、大学を辞めて本気で自分のやりたいことに向かうことにしたんです。

 

当時、すすきのでフレアバーテンダーのお店があるか調べたらまだ無かったので、「これをやればいける!」と思いました。

大学を辞めてフレアバーテンダーの店を目指すことを決断できました。

4月になってしまうと新学期が始まってしまうので、3月中に決断しました。

 

実家が厚別区だったので、すすきののバーで働くために中央区で一人暮らしをしようと思いました。

ただその前に家も家計が厳しい状況だったので、大学の入学金と授業料など親に支払ってもらっていた200万円を返すことにしました。

まずは、利尻島に出稼ぎに行きました。

 

普段は見ない求人誌の一番後ろのほうに出ている、短期の住み込みの仕事です。

少し前に沖縄に行っていたこともあり、島で住み込みで働く、ということをやってみたかったのもあったんです。

沖縄の時のように、誰も自分を知らないという環境でもう一度ゼロからのキャラクター作りをしながら働きたかったのです。

しかもお金を使う場所が無いのでお金も貯まりますから。

5か月間で100万円ためました。

 

月に20万円ずつです。

3食付きの仕事で、お金を使う場所が無いですから(笑。

給料全部貯金したんです。

それで戻ってきて、まず100万円を親にそのまま返しました。

でもまだ全部返す分には100万円足りませんし、自分の一人暮らしの為の資金もありません。

次はもう一度別なところで働きました。

島では、収入に限界があります。

次は更にガッチリ稼ごうと思い、宿舎付きの自動車工場で半年間働きました。

当時は景気も良く、稼げました。

総支給で月38万円の給料でした。

手取りでも32万円くらいになります。

しかも手当もいろいろあったので

半年で200万円貯めることができました。

 

それでまた親に100万円返して、残りのお金で部屋を借りる資金にして、いよいよすすきので飲食店での修業がはじまって行きました(笑。

20歳の時のことでした。

 

 

 

2.修行

 

修行を始める時に、「25歳で必ずお店を出す」と決めました。

 

5年間一つのことに自分の全ての時間を使って、もしそれでできなければ才能が無い、ということです。

5年間やり切って店を持てなかったら、才能が無いか、情熱を注げなかったかのどちらかでしかない、ということです。

25歳でお店を持てなければキッパリと辞めて、また違う分野で何かを始めよう、とその時に決めたんです。

25歳の2006年の8月を自分のお店のオープンと決めました。

 

20歳の時にそういう覚悟を持って修行をスタートしました。

 

当時、自分でお店を出した時のことを考えて、ノートにいろいろな計画とアイデアを書いていました。

その中で、今でいうクラウドファンディングの仕組みを考えて書いてあるんですよ(笑。

大勢から出資を受けて店を出して、出資者にはしっかり還元する仕組みを考えてたりしていたんです。

その他にも何歳で何をして、という具体的な計画も作っていました。

当時、誰が見てもわかり易いメニュー表の案を作っていたんですが、今これはお店で大きく見せています。

当時考えていたことを今、自分のお店で実現していっていますね。

 

飲食店で修業を始めるときに、いろいろ経験する為に同じお店で半年働いて次の店に行く、と決めていました。

その為、修業の間はずっとアルバイトで働いていました。

お店ごとにある強みはそれぞれ違うんです。

例えば大型のチェーン店であればマネジメントの仕組みがしっかりしていたり、個人店であればお客様とのやり取りであったり、カクテルが凄い、ということであったりです。

そのお店で僕が接することのできる中でのトップの人を見つけて、半年で必ずその人と同じレベルまで行きつく、という目標を自分に課しました。

 

 

 

3.どん底へ

 

順調に修行を重ね、当時あるビルの地下あったバーで働きながら、この店を最後の修行の店にしよう、と思いました。

そこに来るまでマネジメントも学んで、お酒の勉強もしてきました。

あとはトータル的にお店の運営に関われれば経験は十分だ、という所まで来たと思った時に、そのお店ではお店全体の運営をすることになったからです。

 

ところが、そのお店が僕が働き始めて、すぐに閉店してまってしまったんです。

そのお店は東京の会社が運営していました。

閉店してすぐ後に、その会社の人から(僕が働き始めてすぐに閉まってしまった)「このお店を買いたいという人がいるからその人を案内してもらってもいいい?暇でしょ?」と頼まれたんです。

「はい。クビになりましたから暇です。」と引き受けることにしました。

大阪から見に来るというその人を閉店したお店に案内することになりました。

その人を案内したところ、その人から「この場所でガールズバーをやろうと思っているんだけど店長やってもらえる?」と言われました。

仕事もなかったしいいか、と思い、その話を受けることにしました。

 

僕が自分のブログで書いているガールズバーの一件です。

 

鈴木社長のブログ:

https://ameblo.jp/es-enter/themeentrylist-10060801272.html

 

この一件で、僕は自分の出店の為に貯めていたお金も全部無くなりました。

 

取引先との信頼関係も完全に無くなったと思っていました。

仲間たちにもすごく迷惑をかけてカッコ悪い状態です。

僕が決めていた25歳まで、あと1年しかない状態です。

この一件で、もうお店の出店は辞めよう、と思いました。

 

 




 

 

4.起業へ

 

また沖縄に行こう、自分のことを誰も知らない島に行って人生をリセットしよう、と思いながら酒を飲む日々を送っていました。

 

そんな時、以前にお客様として知り合った方から連絡があり「飲みに行こうよ」と誘われたんです。

その方にガールズバーの件をお話したら

「それはお前も被害者の一人だよ。お前がそういうように謙虚な気持ちを持つのもいいことだ。

でも後々後悔しないように、自分の店を出す前に諦めないで、1回自分でバーをやってみて、それでダメだったら諦めればいいんじゃないか。」

 

と言うんです。

その方も自分で会社をやっている人だったので、心の中で「もしかしたらこの方、お金出してくれるのかも、、、」なんて期待していました。

その方は「俺が全部、お金の借り方を教えてやるから」と言いました(笑。

「(あ、借り方か、、、)」と(笑。

しかもそれが消費者金融から借りる方法でした。

当時は最高で年率29%の金利でした。

年収に関係なく借りられたんです。

1社から30万円ずつ、5社から借りました。

いまだに当時作ったカードを記念に持っています(笑。

同時に物件探しをしました。

もともとフレアバーをやりたかったんですが、フレアバーって特殊なんです。

カウンターの中が広くなければならないのと、天井も高くなければなりません。

フレアバーをやるには、普通は400万円くらいないと開店できないんです。

でも、その時自分は150万円しか借りることができませんでしたから、フレアバーは諦めて、居ぬきの物件で普通のバーをやろうと思って物件を探していました。

当時は、自分であれば、普通のバーテンダーとしてお客様にサービスするだけでもやっていける自身はありましたので。

そんな時、たまたま南7条(札幌市中央区南7条)に居ぬきで、しかも何故かカウンターがめちゃめちゃ広い、激安の物件が出てきたんです。

これならフレアバーをできる!となったので、その物件でフレアバーをやることにしました。

 

先ほどお話した、僕にアドバイスをしてくれていた社長からは出店に際して条件を出されました。

 

「絶対に一人でやるな」という条件です。

 

「お前みたいな奴は、一人でやればそれなりに上手くやれると思う。でもそれだと、そこで終わってしまう。必ず人を雇って始めないと俺は応援しない。」

と言われました。

 

僕は当時、その前のガールズバーで、人を巻き込んでしまって失敗するときの辛さを知っていました。

「僕は今回一人でやりたいんです」

 

と言いました。

 

それでもその方は「いや、それは絶対ダメだ」と言うんです。

 

僕もその時、ガールズバーの件もあり、その方が唯一相談できる方だったのもあり、その方にそっぽを向かれてしまうと全て失うような気がしていたので、最後は「わかりました」となりました。

 

ただその時はこれまでと違い、僕が誘うのではなくて、自分から「やりたい」と来た人を雇おう、と決めました。

 

当時、フレアを一緒に練習している仲間たちが5~6人位いたんです。

その中には僕の同級生なんかもいました。

でも、絶対こちらから誘うのではなく、自分から手を上げてくる奴とやろう、と決めたんです。

皆にはただ「フレアバーを出すことになった」とだけ話しました。

「一緒にやろう」とは絶対に言わないです。

自分から「一緒にやりたい」と言ってくる奴がいたら一緒にやろう、としたんです。

万が一誰も手を上げなければ、昔から知っていて一番気心が知れている同級生の立石とやろうと心の中で決めていました。

自分で期限を設けました。

この日を超えて誰からも連絡が無ければ立石に声をかけよう、と。

そしたら、その期限の日付がかわる直前に大内から電話がありました。

当時、フレア仲間ではあったんですけどそんなに仲が良かったわけではないんです。

 

「鈴木君ちょっと話あるんですけどいいっすか」

 

僕は期待半分、いや別な話かなという思い半分で、次の日昼間に会って話をすることにしました。

 

「なんか店やるっていうじゃないっすか。。。。俺、一緒にやりたいんすけど。。」

 

っていうんです(笑。

僕はその時頭の中は7割くらい立石とやる、となっていたんですが、でもやっぱりもともとは今回は自分から手を上げてくれた奴とやる、って決めていたんです。

 

「じゃカズ、やるか!」

 

(カズ=大内)

 

で大内と二人でやることに決まりました。

 

その時、僕もガールズバーの件のように、これでいくら給料払えるとかいい話を言って、それを下回ってしまうのをしたくなかったんです。

だから、大内には「給料は最低限いくらほしい?」と聞きました。

15万円くらい、って言ってくれたら助かるな、と思いながら聞いたんです。

そしたら、大内からはまさかの

 

「6万」

 

っていう答えでした(笑。

 

当時大内、一人暮らしですよ!

 

僕も「は?!」となるじゃないですか(笑。

 

大内が「家賃2万円なんすよね。携帯が1万円。飯代3万円。」て言うんです(笑。

さすがに僕も「いやいやいや、さすがに6万円はね」と思ったので、大内が店にいることで来てくれるお客様と来てくれた時の売上を予想で書いてもらいました。

そうしたら、大内が来ることによってできる売上の予想が12万円になりました。

それなら僕も原価がどうのとか言わずに、大内に「12万円は払うよ」ということにしました。

15万円のつもりの僕からすると3万円減りましたが、6万円のつもりの大内からすると倍になったんです。

 

es従業員の皆さんと(鈴木氏:前列左から3人目 大内氏:前列左から4人目)

 

 

 

5.起業 ~衝撃から「仲間との成功」へ~

 

当時は、大内にも消費者金融からお金を借りて出店するなんてことは言えませんでしたので、それだけを隠して出店の準備を進めていました。

 

2006年7月20日、20歳の時に立てた計画より1ヵ月早く無事に「フレアバーes」をオープンすることができました。

 

南7条に開店した当時の第1号店(鈴木氏:右、大内氏:左)

 




オープンしてからは、大内の人柄ですね、大内に会いにお客様が本当にたくさん来て下さったんです。

本当にたくさん来ていただきました。

大内のお客様だけでも毎月50万円くらいの売上が上がりました。

それにプラスして僕のお客様の売上です。

本当にお店は毎日満席でした。

それによって元々立てていた売上予算を毎月超えることができたんです。

 

それで1ヵ月経った時、給料を払うことになりました。

当時は現金払いです。

どう考えても大内の功績が大きいので、約束した12万円ではなく、元々僕が考えていた15万円を封筒に入れて大内に渡しました。

 

(鈴木)「初給料!」

 

(大内)「あざっす!」

 

って感じでした。

 

次の日大内から連絡が来ました。

 

 

「鈴木君、ちょっといいっすか」

 

 

確かに、大内本人も自分が売上を作っているのをわかる訳です。

予想では大内の売上が12万円となっていましたが、実際にふたを開けると大内の売上は50万円になっていたんです。

さすがに大内から「もう少しも貰えないっすか」となるだろうと思いました。

「俺、こんだけやってんですから」となるだろうと。

 

でも、事実売上を上げていましたから、そういう話になったら考えよう、と思いました。

その代わり僕も現状をきちんと話して伝えようと思いました。

消費者金融から高金利で借金をしていること、どれだけ毎月返さなければならないか、などだけは話しておこう、と思ったんです。

 

彼と昼間会いました。

 

 

すると彼は

 

 

 

「多いっすよ。

 

 

 

 

12万円って言ってたじゃないっすか」

 

 

と言って3万円返してきました。。。。。

 

 

 

その瞬間、自分の中で何かが「バキッ!!」ってなりました。

 

 

 

(「逆かい!!!!!!!!!!!」)ですよ(笑。

 

そんな奴いないですよ!!!!!

 

 

 

その瞬間に僕は変わったんですよ。

 

 

それまでは「自分がやりたい店」だったんです。

 

それまでは、自分が幸せになる、自分が調子こく、って生きて来てたんです。

 

その瞬間から

 

「マジでこいつと一緒に2人でやっていく店として成功しなきゃならない」

 

に変わったんです。

 

アドバイスしてくれていた社長の「人を雇ってやらなきゃ駄目だ」の本当の意味が分かりました。

 

このことが僕の中では本当に大きな出来事でした。

 

「俺の店」から「俺らの店」に変わった瞬間でした。

 

 

 

その時さすがに3万円は大内に渡しました。

 

大内は「ありがとうございまーす」と受け取ってくれました(笑。

 

第2章へ続く


2018年3月1日(木)
鈴木代表自らが店に立つ新店オープン!
店名:es
住所:南4条西3丁目Nプレイスビル1階 
     ※前キュリアスフォックス

お酒を通じて楽しい空間を作ることをゼロからやってみたい
もう一度原点であるバーテンダーからやり直そう(鈴木氏)