9 鈴木 慎也 氏 第2章 飲食業【株式会社esエンターテイメント 代表取締役】

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鈴木 慎也 氏


株式会社esエンターテイメント
http://www.es-entertainment.jp/

略歴
2006年7月 創業
2009年1月 法人化

事業内容
飲食店の経営
飲食店の運営企画


2018年3月1日(木)
鈴木代表自らが店に立つ新店オープン!
店名:es
住所:南4条西3丁目Nプレイスビル1階 
     ※前キュリアスフォックス

お酒を通じて楽しい空間を作ることをゼロからやってみたい
もう一度原点であるバーテンダーからやり直そう(鈴木氏)


 

第2章

 

1.休みなく

 

開店してから、半年間1日も休みなく働きました。

僕はいいんですけど、大内も1日も休みなく働いたんです。

1ヵ月に消費者金融1社分の30万円ずつ返済できました。

半年で消費者金融から借りたお金は全て返済できました。

そうなったら無借金です。

お店も順調でした。

 

「そろそろ休むか」と考え始めていた頃、ある金曜日暇な日があったので「飲みに行くか!」となりました。

 

 

飲みに行って、お酒を一口飲んだ瞬間、パンパンに膨れ上がっていた風船が、パン!と弾けるかのようでした。

 

ウワーーーーー!!!!!!!

 

と全身の力が抜けていきました。

 

あの瞬間は今でも覚えています。

 

「たまんねー!!!!!!!!!!」

 

って(笑。

 

店に「休みます」の張り紙をして、飲みました。

 

「よし!これから週に1回くらい休むか!」となりました(笑。

 

それから週に1日休めるためのシフト制にしました。

 

それまで半年間は走り続けてきました。

楽しくて楽しくて仕方が無かったんです。

その間、ノーゲスト(お客様0)の日は一度もありませんでした。

実は開店以来、今まで僕の店でノーゲストの日を作ったことが無いんです。

当時僕のお店は、同業者が仕事終わりなどに飲みに来て下さる方が多い店でしたので、12時1時ころまでお客様が来なくても、2時3時になると必ず誰かが来て下さっていました。

でも日曜日は深夜1時までの営業だったのですが、ある日曜日、遅い時間まで誰も来ていませんでした。

だんだん気まずい雰囲気になってきました。

「あれ。ついに(今日もしかしてノーゲスト)?」みたいな。

その日は冬でかなり吹雪いていました。

12時ちょっと前に、「さすがにいよいよ(ノーゲスト)か。。。」となりかけた時に電話が鳴りました。

当時ちょっと小生意気な後輩からの電話でした。

 

「今から3人いいっすか」

 

そんな奴でももちろん「おー!いいよ、いいよ!!」ですよ(笑。

 

店に来た時も「おー!よく来た!!飲んでよ、飲んでよ!!!」ですよ(笑。

 

めっちゃいいサービスしました(笑。

 

そいつは生意気な奴だったので「今日ノーゲストでさ!」とは絶対に言いません。

それを言わずに、ただただ超いいサービスをしました(笑。

 

その経験は今でも大事です。

 

その日のことがあるので、いまだに来店してくださるお客様に対して当たり前にならないように接することができています。

普通そんなに心から「ありがとうございます!」「いらっしゃいませ!」って言うお店って少ないじゃないですか。

僕はその日の経験から、お客様が来て下さることがどれほど大事なことか、と思うようになりました。

毎日その気持ちでお客様に接していたら、必ずお客様ってついてくれますよね。

 

今はマニュアルを作ったり、評価制度を作ったりしていますけど、本来お店にお客様が来ていただいた瞬間の「ありがとうございます!」って言う気持ちをずっと持てるかどうかなんだと思います。

休まずに働いていた半年間でのそのエピソードが今でも僕の心の中に残っていて、お客様に来ていただける大切さを忘れない気持ちに繋がっています。

ちょっと調子に乗っちゃうと、閉店間際にお客様が来てしまったときに「もう閉めるから!」とか言っちゃったりするんですよ。

閉店間際のお客様を迎え入れろとはスタッフには強制はできませんが、「es」っていう会社の根底にはその想いと考え方があることだけは確かです。

 

1店舗目がおかげさまで順調に進んでいき、次に何をしようか、と考え始めました。

当時、フレアを一緒に練習している仲間がいたので、その仲間を一人ずつスカウトしていこう、と思ったんです。

まずは最初の店で売上的にも少し余裕が出てきたので「一人採用しよう」となったんです。

当時、その仲間の中で1番フレアが上手かった山下に声をかけたら、山下がその当時働いていたバーで「俺まだここで働いていたいんで」と断られたんです(笑。

内心「コノヤロー!」ですよ(笑。

次に女の子で練習しているメグに声をかけたら来てくれて、お店が3人体制になりました。

それによりお店のバランスもすごく良くなって、売上も更に上がっていきました。

 

 

 

2.2店舗目

 

そこで更に次は、と考えた時に、2店舗目を出すことになりました。

当時はマーケティングも戦略も考えていませんでした。

1店舗目は「メニューに食べ物がない」「駅から遠い」「店が狭い」「結婚式の2次会などで使えない」「営業時間が遅い」というのが欠点だったんです。

次の店はこの欠点を全部解決してやろう、という考えでお店作りをしました。

「フレアダイニングes」です。

当時、店にお客様として来てくれていた同業の仲間たちに声をかけました。

僕と(今アジアンバールcotaをやっている)コータと、それまでたくさんお世話になったことがあるマクさん、東京の有名なフレアバーで働いていてウチのうわさを聞きつけて来てくれた男、の4人で始めました。

引き抜きで来てくれたので全員正社員で4人で始めました。

今思えばめちゃくちゃな出店ですよ。

最初に出店した「フレアバーes」から僕が抜けるので、僕の代わりにもう一度山下に声をかけたら来てくれたので、「フレアバーes」に3人、「フレアダイニングes」に4人の合計7人の体制で2店舗目をスタートしました。

 

2008年3月29日です。

 

1店舗目は「自分のやりたいこと」を基準に店を出しました。

フレアバーで、飲み物も自分が出したいメニューで、という感じです。

でも2店舗目は、「自分がやりたいこと」ではなくて、「1店舗目に無いもの」で打算的に作った店だったんです。

当然、売上は全然伸びないんです。

 

僕はそれまでネット広告を打たずに営業していました。

それでも上手くいっていたんです。

なのでこの時は、逆にみんなにも「大丈夫だ。ネット広告出せば来るから」と言ってネットの広告を出しました。

それでも全然来ません。

あれ!おかしい!何でだ!?となった訳です。

普通のダイニングバーと違って、フレアのパフォーマンスもあるのに何で全然こないんだ?となりました。

この時、初めて戦略というものを学ぶことになりました。

本で「戦略」と「マーケティング」の理論を読みあさりました。

たくさん読んだ中で「ベーシックス」という理論が一番自分の中にハマりました。

非常にわかり易く「なるほど!」と思いました。

今までは自分のカンでやってきていて、ターゲットも自分に近かったから良かっただけだったんだ、ということに気付いたんです。

店のエリアも変わり、ターゲットも変わっているわけですから。

「ドリルを売るには穴を売る」と一緒です。

 

当時「フレアバーのパフォーマンスが見られるダイニングバー」と言っていたんですが、それって正直意味がよくわからないですよね。

じゃ、ウチの店はどういう価値があって、どういう体験ができる場所なんだろう、ともう一度考え直しました。

そして「貴方の特別な日に貴方の特別なカクテルを作ります」というフレーズに変えました。

「貴方の記念日を彩る一杯をフレアのパフォーマンスで提供します」と言い換えたんです。

そうするとお客様も「なるほど」となって下さったんです。

お客様も「記念日にフレアのパフォーマンスで特別なカクテルを作ってくれるんだね」と

なっていただいたんです。

 

そこから売上が伸び始めました。

 

それが、僕が初めて「戦略的にマーケティングをしてモノを売っていく」という経験をした時でした。

売上もしっかり伸び始めたので、2009年1月に組織を法人化しました。

株式会社esエンターテイメントです。




 

 

3.拡大へ

 

この頃は今では考えられないような労働環境でした。

みんな長時間働いて、週1日休める程度でした。

楽しくはあっても、そんな状態なら続かないですよね。

実際、1店舗目のお店も売上が下がって行きました。

コータから「料理を学びに1回東京に行きたい」と言われました。

 

その状況を打破するためにも、1店舗目の「フレアバーエス」を2店舗目の近くに移転することにしました。

すると当時リーマンショックによる景気低迷で、すすきのの一等地のあるビルの最上階が全部抜けたんです。

偶然そのビルの社長の息子さんと知り合いだったこともあり、飲みに行ったときに半分冗談で「あの場所貸してもらえませんか?」と聞いたんです。

そうしたら意外にも「え、やる?」というお返事だったんです。

僕も「え!!??」となる訳です(笑。

「え、いいんですか。本当にあの場所」と再度お聞きしたら

「いや、本気で考えているならいいよ」と言ってくださったんです。

 

とはいえ1フロア110坪あったので、さすがに全部は厳しいので、間仕切りを入れてもらって半分のスペースでやる、ということになりました。

 

これが当社には大きな転機となりました。

 

僕はその3年前には、消費者金融からお金を借りて店を開いていた男ですよ(苦笑。

それが、すすきの交差点を見下ろす、角地のビルの最上階でお店をやることになったんですよ。

さすがに自分でも「やっぱりやめようかな」となりました。

同じタイミングでもっと良い条件の物件があったんです。

それは内装がしっかり作りこまれてあって、内装代がかからない物件だったんです。

出店が安く済むんです。

 

悩みました。

 

でも、以前の大内と給料の件で「俺らの店」をカッコよくやりたい、という思いを思い出しました。

すすきの交差点の一番上のフロアで「カズ(大内)、俺たちここでやろうぜ」となれば、3万円を「多い」と返してきた「カズ(大内)と一緒に成功する」ということを実現できるような気がしたんです。

 

それで決断しました。

 

当社の理念でもある「カッコよく」です。

どっちがカッコいいかといったら、すすきの交差点の一番上のフロアですから。

 

2009年11月6日に「フレアバーes」を今の南4条西4丁目の恵愛ビル8階に拡張移転しました。

 

さすがにこの時はフロアが広いですから、初めてアルバイトを採用しました。

 

それまでは全員社員でしたし、気心も知れていて、しかも飲食店の経験者たちでしたから、何も言わなくても普通の飲食店の仕事をしてくれていたんです。

でも初めてアルバイトを採用してからは、今まで想像もつかないようなクレームが起きたりし始めました。

それまでは店が回らない、という状況はありませんでしたから、初めて「店が潰れる、ってこういう状況なのかも」と感じました。

 

そこで初めて、「教育」と「マネジメント」を進めることになりました。

ただ、そんな中でも立地の良さと広さもあり、移転前の南7条の時の年間の売上を2ヵ月で達成しました。

その時に、小さなお店でやるよりも大きなお店で勝負をかけると、こんなに違うんだな、ということを知ったんです。

僕の中での、「個人店」から「企業」への転換でした。

 

飲食店は2月が売上が一番厳しい月なんです。

オープンしたてですぐに2月を迎えたんですが、その一番売り上げが厳しい2月でもある程度の金額の売上にはなるんです。

広いお店で営業すると、売上の桁が違うことを知りました。

 

逆にそのことにより僕が調子にのってしまう時期を迎えてしまうことになりました。

 

 

 

4.4店舗目出店へ

 

この時期、東京で中華料理の修行をしていたコータが札幌に帰ってくることになり、僕も出資をして「アジアンバールCOTA」を出店することになりました。

 

この頃は移転した大きな店舗から出る利益があったので、「アジアンバールCOTA」のように仲間を巻き込んで、出資して店を出す、というやり方で何店か出店しました。

 

その後、また大きなポイントを迎えました。

今の「フレアバーes」の隣のフロアが、半分空フロアの状態が続いていました。

そこに他のお店が出店したいという会社がある、という話が聞こえてきたんです。

 

当時「フレアバーes」の売上がどんどん伸びていましたから、それにあやかろうという感じに見えてしまったんです。

もしそうだとするとそれは悔しいので、それなら自分たちでやったほうがいいんじゃないか、と思いました。

当時は会社も利益が出ていましたし、銀行からの評価も良く、借入もできる状態でした。

以前にマーケティングを勉強したおかげで、自分が現場に出ないでも、マーケティングをしっかりして戦略を立てて出店する、という手法がその頃上手く行っていました。

その手法で、「フレアバーes」の隣の残り半分のフロアも借りて出店することにしました。

 

ここで僕は、「フレアダイニングes」の出店の失敗と同じことをしてしまったんです。

 

「フレアバーes」の隣に出店する新しいお店は、「esイビザ」としました。

 

「フレアバーes」の真逆のターゲットを狙おう、という戦略にしたんです。

「フレアバーes」は男性客が中心で1次会がメインのお店です。

「esイビザ」は女性客が中心で2次会がメインのお店にしよう、としたのです。

 

その時は「今の俺は当時と違ってマーケティング戦略でやっているから。感性でやっていた以前とはちがうから」と自分では思っていました。

 

2,000万円もの費用をかけて出店しました。

 

これが悲劇の始まりでした。

 

 

第3章へ続く